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#宮柊二
私の好きな短歌、その43
ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す
宮柊二、『山西省』より。(『日本の詩歌 第29巻』中央公論社 p371』)
衝撃的な歌である。中国大陸での戦闘の歌で、まさに人を殺害する時を歌にしている。読者はどこに共感すればいいのか。短歌としての定形に即したこの文字列の背景、その事実の瞬間は血なまぐさい、およそ和歌的に優雅などとは言われぬ、残酷な命の奪い合いの瞬間なのである。
私の好きな短歌、その44
朝に夕に苦しみ過しし一年のある日道路に蜆買ひけり
宮柊二、『小紺珠』より。(『宮柊二歌集 p63』岩波文庫)
1948年(昭和23年)刊行の歌集『小紺珠』の中の、「一年」という題を掲げられた一連の中の一首。「一年」とは、敗戦からの「一年」という意味。一首の前には「直かりし国の若きら面振らず命を挙げて修羅に死にゆきぬ」という歌がある。戦争、敗戦の衝撃はまだ生々しく、苦しい時代だった。その一方
私の好きな短歌、その45
いさぎよき口調をつかひ物売と応接なしき銭なき妻が
宮柊二、『日本挽歌』より。(『宮柊二歌集 p110』岩波文庫)
かつては、魚売りや果物売り、花売りなど、色々な物売りの人が町にいたと思う。百科事典や英語教材でも訪問販売があり、我が家でも買って(買わせられて?)いた。一首の場面は、買う前提でか、押し売りを撃退しようとしているのかわからないが、いずれにしても時代の勢いがうかがえる。皆が貧しかっ
私の好きな短歌、その46
秋の日は洩れきて砂に動きをりもう一度だけ会ひたきものを
宮柊二、歌集『獨石馬』より。(『宮柊二歌集 p220』岩波文庫)
「米川稔」と題された一連中の一首。1971年(昭和46)の歌。米川稔は宮柊二と共に北原白秋の門人で親交があった。宮が1912年(大正1)生まれ、米川が(おそらく)1897年(明治30)生まれなので、米川が宮より15歳若い。米川は鎌倉在住の産婦人科医だったが、1943年(昭
私の好きな短歌、その47
一日に五首づつ詠むと決めてきて老人なればもう駄目だ
宮柊二、歌集『忘瓦亭の歌』より。(『宮柊二歌集 p248』岩波文庫)
岩波文庫の解説では、当時作者は糖尿病、リウマチ、眼底出血、脳血栓などで入退院を繰り返していたという。そういう苦しみのなかでの歌だが、余分な力が抜けた自在さがある。
結句の五音が意表を突く。まさに力尽きているという感じがして老練。ユーモラスであるが、「一日に五首」という