【未来ノート紹介】あなたはだれと手をつなぎたい?
一度にたくさんの友だちを失ったことが、2度ある。
1度目は、中学校2年生の頃。
僕はいじめに遭っていて、それでクラスのほとんど全員が、僕に話しかけて来なくなった。
2度目は、27才の頃。
僕がとあるビジネスを始めたところ、友だちのほとんどみんなに猛反対されて、それで取り囲まれて散々言われた挙句、匙を投げられた。
この2度の経験とも、僕は完全に相手が悪いと思っていて、それですごく長い間、腹を立てていた。
…
昨日、『未来ノート』という本を紹介した。
本は10月20日、つまり昨日発売であった。
ネットで予約注文をしていたのだけれど、発送されるのが発売されてからなので、発売日には読むことができない。
堪えきれなくなった僕は日付が変わって直ぐに電子書籍を買い求めて、それから貪り読み、その日のうちに読み終えた。
その感想を、昨日記事に書いた次第だ。
それで、今日は紙の本が届くかもしれないなと楽しみにしていたのだけれど…。
いつも使っているネットショップで、いつものように注文したにもかかわらず、何故か『未来ノート』の注文だけ、今は使っていないクレジットカードでの支払いになっていた。
もちろん決済されず、”カード情報をご確認ください”という文言のメールが今日届いた。
しばらくポカンとしてしまったが、これはもう本屋さんに行くしかないと、仕事を終えた後に近所の本屋さんに急足で向かい、無事本を手に入れた。
昨日読んでしまったのに、なんで紙の本も買うのかというと、この物語の主人公2人のうちの1人、さくらのモデルになった橋本だおびさんが、表紙のみならず、本に出てくる挿絵まで全ての絵を手掛けたからだった。
橋本だおびさんとは1年前、この本の著者である佐藤由美子先生の劇場型ライティング講座という講座で一緒になった事がきっかけで、友だちのような仲になった。
当時嫉妬に狂っていた橋本だおびさんは、その嫉妬を惜し気もなく晒し、それを文章に変換して独特な世界を創り出していた。
僕も負けじと自分のワールドで文章を書いていて、橋本だおびさんは僕の中で最恐のライバルだった。
そう、僕も橋本だおびさんに負けず劣らず嫉妬深かったのだ。
この頃からすでに、橋本だおびさんが絵を描く人だということは知っていた。
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未来ノートの主人公さくらも、イラストレーターを志していたが業界の狭き道に挫折を覚え、それから夢を諦めて工場勤務をして生活を送り流していた。
ある土砂降りの雨の日。さくらが勤めている工場の入り口の花壇で、ひとり傘を差している男の子と出会う。
男の子の名前は蓮といった。蓮をみて”どこか私と似ている”と感じたさくらは、次第に蓮と心を通じ合わせていく。
蓮と交流し仲を深めていく中で、さくらは自分の過去を自然と打ち明けはじめた。
そんなある日、1通のハガキがさくらの住むアパートに届く。昔働いていたデザイン事務所の周年パーティーの招待状だった。
この出来事が、さくらが向き合いたくない過去に向き合わざるを得ない機会を招いていく。
パーティーの帰り道、さくらは見知らぬはずの女性から、タコの描かれたノートを受け取った。
家に帰ってノートを開くと、そこには8文字の言葉が浮かび上がっていた。
その8文字の言葉の通りにノートを書き進めたところ、さくらは自分の本当の気持ちに気づいてしまう。
ここから、さくらは”あきらめた希望”を取り戻す、”決意と覚悟の物語”を展開していく。
過去、現在、未来が統合されたその先に見える景色とはどんなものか。それを、さくらを通して、あなたにも体験してもらいたい。
一度にたくさんの友だちを失った2度の経験を、僕は全て相手が悪いのだと思って腹を立ててきたと、冒頭で述べた。
けれども改めて過去を振り返ってみると、友だちを遠ざけたのは、何者でもない僕自身であったと、今ならわかる。
相手が悪いと腹を立てていた僕は、”相手が悪いと思わなければやっていられない”という程のダサダサで。
つまり、相手に腹を立てていると言いながら、思いながらも、実のところ自分にずっと腹が立っていたのだった。
本当は自分が悪いと思っていて、本当は、嫌われたことが、嫌で嫌で仕方がなかった。
だから僕はずっと、自分がいじめられたことを、それから匙を投げられた自分自身を、許せなかった。
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いじめられていたあの時、
「なんでいじめるの?」って、聞けなかった。
匙を投げられたあの時、
「なんで離れていくの?」って、聞けなかった。
「いじめられている」って、誰にも言えなかった。
「会えなくなってすごく寂しい」って、誰にも言えなかった。
過去の僕は、ダサダサで、弱くて、勇気のかけらもない。
そんな僕を、今の僕がどう捉えるか。
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さくらの物語を読んでいて、ハナレグミの「発光帯」という曲が頭に浮かんだ。
”幻さえ 心残りで
戸惑うまま ずっと立ち尽くしていたの?”
この歌詞は読む人によって捉え方が幾つも存在する。
例えば口に出して読んでみた時に、
ある人は、苛立ちを込めて読むだろう。
ある人は、共感して涙を流し読むだろう。
ある人は、語りかけるように優しく読むだろう。
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僕は、ダサダサで、弱くて、勇気のかけらもない僕を、ずっと見離していた。本当の意味で寄り添う事をしてこなかった。
だから僕は、ずっと立ち尽くしている過去の僕に、
申し訳なさを込めて”幻さえ 心残りで 戸惑うまま ずっと立ち尽くしてしたの?”と口に出して読んでみた。
情けないくらいにつっかえて、声が震えて読むのに時間がかかった。馬鹿みたいに涙が出てきてしょうがなかった。
心が澄むまで、何度も何度も読んでみた。
そうしたら、これからが見えてきた気がした。
「僕のこれからを、みていてね。」
僕は、過去の自分と手をつないで、しばらく歩いてみようと思う。
僕の中にいる”弱い自分”を、
決して見離したりしないと、決めた。
これは、さくらの物語のお陰だ。
いや、百合子とさくらの物語、2つが合わさったときに、僕にもたらされた気づきなのかもしれない。
にくい本だな、と、改めて感じた。
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今があって、過去があり、それからこれからの未来がある。
ひとつひとつの出来事や経験は、光を放つさまざまな色を持った点であると思う。
人生をワイドアングル(俯瞰的)にみてみると、
たくさんの、光を放ったさまざまな色の点があり、
それはまるで川のように見えるのではないだろうか。
「発光帯」という曲のタイトルは、
きっと、まさにそれを表しているのだな。
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それでは、また。