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読書感想文 J・Dサリンジャー「バナナフィッシュに最良の日」 秘密の共同体をつくるバナナフィッシュ
J・Dサリンジャーの短編集ナインストーリーズの中の「バナナフィッシュに最良の日」の読書感想文だ。
私は以前秘密について書いたことがある。秘密とはなにか、隠されたもの、秘匿されたもの、忘れさたれたもの、いろいろな表現があると思う。その中で文化産業と秘密について書いてみたい。
ミステリー小説や謎解きゲームなど、文化産業は「秘密」や謎解きをテーマにしたコンテンツを提供し、消費者の好奇心や探求心を刺激する。消費者は、作品の世界観に没入し、「秘密」を解き明かすことで、より深い満足感を得ることがでる。
あるいは、特定の作品やアーティストを熱狂的に支持するファンダムは、独自の「秘密」や情報を共有し、コミュニティを形成する。ファンダムは、「秘密」を共有することで、メンバー間の絆を深め、作品への愛着を強める。
唐突だけれど、バナナフィッシュに登場してもらう。サリンジャーは短編小説「バナナフィッシュに最良の日」で架空の魚、バナナフィッシュを登場させた。奇妙な魚で、魚の様子を引用してみれば
「そうだね、彼らはバナナがたくさんある穴のなかに入っていく。泳いでいるはいるときはごくあたりまえ魚なんだよ。でもいったんなかに入るとまるで豚みたいにふるまうんだ。なんだよ、ぼくはバナナフィッシュが何匹かバナナの穴に入っていって七十八本もバナナをくらったのを知ってるんだよ」彼は浮き輪と一フィートばかり斜めに進めて水平線に近づけた。「あたりまえのことだけど、たらふく食べてしまうと、二度とその穴から出られやしないんだ。ドアをくぐれ抜けられないからね」
バナナと魚とは奇妙な組み合わせだ。バナナフィッシュについて語っているシーモア・グラスはかつて兵士であった。物語の最後には銃で自殺してしまう。バナナフィッシュとはシーモア自身のこととも考えられる。でも違うかもしれない。これは文学に現れる秘密の一つのあり方だ。
文化産業におけるコンテンツとは記号の産出にかかわるものだ。記号とは現実とは乖離しているがゆえに自由でありうる。自由であるとはどんなものでも書きうるということだ。架空のバナナフィッシュであろうと、自殺するかつての兵士であろうと記号は現れる。現れたものは現実であり、共有することが可能である。共有されたものは謎であり、秘密である。
秘密とは秘匿されたものであり、解釈によってあらわになるものだ。戦争とバナナを結びつけることができる。それは奇妙な魚の形をした秘密である。新たに産出するのは秘密としての記号なのだ。誕生と言ってもいい。作品とは生まれるものだ。剰余と言ってもいいかもしれない。語っても常に余るものとしてのバナナフィッシュなのだ。