読書感想文 石川啄木「悲しき玩具」をよむ 思わず笑ってしまう日常
石川啄木の短歌集の「悲しき玩具」を読みました。思ったことを書いていきたいと思います。
石川啄木は1886年〈明治19年〉2月20日に生まれ 、1912年(明治45年〉4月13日に二九歳で肺結核で死んでいます。戦前の日本では結核が猛威をふるい、この伝染病で多くの文学者がこの世を去っています。宮崎駿監督の「風立ちぬ」でもヒロインの里見菜穂子が結核にかかっていることが描かれています。「悲しき玩具」は啄木の第二歌集です。啄木の死後出版されました。
歌集の中からいくつか抜き出したいと思います。
何となく
今年は良い事あるごとし。
元日の朝、晴れて風なし。
いつの年も、
似たような歌を二つ三つ
年賀の文に書いてよこす友
この二つの歌は多分年初に書かれたものだと思われます。ユーモラスで笑いを誘います。元旦にただ晴れているだけで気分が良くなり、いいことがありそうだと思ってしまう啄木は単純です。でもその単純さが気力を蘇らせます。はじめ良ければ全て良しの精神を体現しています。私も今年のはじめに近くの神社を訪れたのを思いだします。
次の歌もいい味出してます。日常というものは単調な繰り返しです。いつも事件ばかり起きていたら幸せとは言えません。そんな繰り返しを肯定するような歌です。また表現とは一番を取らなくてはいけないというものではないです。上手くなかもしれないものでも、だれかに届くということは嬉しいことです。
古新聞!
おやここにおれの歌の事を褒めて書いてあり、
二三行なれど。
これなんかもいいですね。単純ですが褒められると、嬉しいんです。二三行なれどというところもいいです。わずかしか書かれていないのに喜んでしまいます。noteでもコメントがつくと嬉しくなってしまいます。こういう心理は昔も今も変わりません。
この四五年、
そらを仰ぐといふことも一度もなかりき。
こうもなるものか?
あの頃はよく嘘を言ひき。
平気にてよく嘘を言ひき。
汗がいづるかな。
はじめの歌は生活するのにいっぱいイッパイでいつの間にか空を見ることもなくなっている。そんな感じを受けます。歩くときにしっかり前を見て足元を確かめながら行くのは大事です。でもいつの間にか会社、世間ばかりを見て生きていると見えなくなるものも多いです。
次の歌は身につまされます。嘘をついてその場をやり過ごそうとする姑息なことを、私もやったことがあります。大人になっても、こういう子供じみたことをやってしまいます。あとになってみると冷や汗が出ます。
紹介したのは五首ですが、まだまだいっぱい歌がのっています。最後の方は病院に入院しているらしいことが伺えるものになってます。この記事を読んで興味がでたかたは拾い読みでいいと思うので、手にとって読んでみてください。
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