マーガレット・アトウッド『侍女の物語』を読んで
『侍女の物語』 マーガレット・アトウッド 2001.10.24 発行 早川書房
ディストピア小説。
21世紀初期とされる時期に、アメリカ合衆国でキリスト教の原理主義者の一派がクーデターを起こし政権を奪取する。
新たに政権を掌握したギレアデ共和国はキリスト教の教義を利用し、独裁政治と全体主義によって民を支配。
出生率の低下に危機感を抱いていた彼らは、すべての女性から仕事と財産を没収すると、妊娠可能な女性たちを「侍女」としてエリート層の男性の家に派遣。
「侍女」たちはあくまで出産の道具として、国家資源として保護され、儀式の夜に主人の精液を受けて、ひたすら妊娠を待つことになる。
これは、そんな女性たちにとっての暗い近未来社会を、オブフレッドとという「侍女」のひとりの目を通して描いたもの。
オブフレッドの体験談を読み進めていくので、最初の方は少し読みづらいですが、話が進むにつれ、時系列が過去にいき、回想が導入されるなど、世界観が明らかになっていくので、飽きることなく読み進めることができました。
全体を通して、暗い雰囲気がずっと続いて、希望をほとんど感じることができない話でした。
最後、本編の話の約200年後にとび、この話が発掘された資料で、それを未来の人が物語の解説、解釈するというのは、あまり見たことがなかったので驚きました。
ディストピア小説の世界観というのもあり、救いがあったのか、なかったのか、最後の終わり方を見ると正直わかりません。
女性にとって、もちろんディストピアですが、男性にとってもディストピアだなと思いました。
本名を使うことが禁じられていることは、名前を奪われ、自分の自由をも失うことはとても恐ろしい体験で、他人の名前も強制させられる。
その中でモイラの生き様は光が当たることはないけれどヒロインだったなと思いました。
自由のはく奪と監視社会の中では、一つの行動が命取りになり、誰を信用していいのか、不安と苦しみ、怒りなど複雑な感情が伝わって来ました。
特に造反者や犯罪者を公開処刑して死体をぶら下げる「救済の儀」とかは、かなり残酷な表現だと感じました。
自由について改めて考えさせられる本でした。