愛媛が生んだ冒険家
「あなたの故郷から生まれた偉人は誰ですか」と聞かれたら、私はまず俳聖正岡子規と答えます。
そして、次に日本の騎兵の父と呼ばれている秋山好古、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った秋山真之と答えます。
二人は兄弟です。この3人には交流がありました。
私はその偉人たちのかかわりを司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」で知る事になりました。伝記や小説から先人や偉人の功績を知る事は心ときめくものがあります。
彼らが活躍していた明治の時代に、海外で名を馳せた愛媛の偉人がいることを最近になって知りました。
和田重次郎と言うアラスカの冒険家です。
私は和田重次郎の物語を、山と渓谷社から出版されれいる谷有二の「オーロラに駆けるサムライ」で知りました。
【和田重次郎】
和田重次郎は「アシはアメリカに渡って住友になる」と貧しい暮らしから脱出するために夢とロマンを持って密航し、アメリカ大陸を目指した人物です。
騙されて捕鯨船に乗せられ北氷洋を旅したり、日本人であるためにジャップと呼ばれ差別を受けるなどの苦労を重ねながら、アラスカでは名の知れた日本人として様々な新聞に度々取り上げられたユニークな人です。
155センチ70キロと言う小柄な体格でありながら、優れた適応能力と逞しい身体能力で犬ぞり使いの名手となり、未開のアラスカ大陸に移動ルートを作り、鉱山師として数々の金鉱を掘り当て、極地探検の草分けとして、明治、大正、昭和の時代を駆け抜け、この上なくアラスカを愛した日本人です。
彼は、日本では多くの人に知られることなく人生を終えました。
近年になって、故郷に住む母への仕送りやそれに添えた書簡の存在などから、親孝行な息子として地元人たちの心に刺さり、彼の孝養は地域の人たちに語り継がれ、顕彰活動が行われています。
たぐいまれな冒険心でアラスカを開拓し、様々なトピックスを残しながら、故郷の母を思い続けた和田重次郎は、まさしく愛媛の先人であり偉人だと思います。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《和田重次郎は孝行息子じゃったんじゃと》
93歳のばあばと娘の会話です。
「私も知らんかった、あんたが本を読んで聞かしてくれたけん分かったよ、明治の時代に密航で渡るなんて、物凄い根性じゃわい」
「お母さん、和田重次郎は孝行息子じゃったんじゃと」
「それは素晴らしいわい、私は地元出身の冒険家は北極点に単独徒歩で到達した河野兵市さんしか知らんかった」
私は改めて明治の時代に生まれた愛媛県人のバワーを感じました。
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