純粋なおばさんの話
私は数年前までは、おばさんと言われることに抵抗がありましたが、いつの間にか自己認識するようになってきました。
かつて職場の後輩から、ジョークを交えて熟年扱いされるとムッとする時もありましたが、何時しかそれもスルーするようになりました。
私は敢て言います。
「私は、純粋なおばさん」です。
どうして純粋がつくのか、それは年齢に相応しい柔軟な心を備えた女子ではないからです。
67歳、世の中の酸いも甘いも分かっている大人の年齢のはずなのに「人はこうありたいこうあるべきだ」と言う純粋なところが多いめんどくさいおばさんだと思っています。
こうあるべき、こうするのが人として大切なのだと思うことがたくさんあって本当に厄介です。
柔軟さに欠けるところがあるのです。
見て見ぬふりをして、見逃すことが出来ないのです。
でもそれが私らしさなのです。
物分かりのいい、おばさんでいたいなとも思うのですが、それでは自分が許さないのです。
スクエア―な思考を柔軟に変形させながら、その時々で選択や思考が出来る人になりたいと無いものねだりをしているのが最近の私です。
純粋なおばさんのままでいいのか、母に聞いてみました。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《あんたは融通が利かんのよ》
「あんたは純粋じゃないんで融通が利かんのよ、もうちょっと融通を利かせんといかんのよ、純粋なんもええとこなんじゃけど、嘘も方便言うてね、私がそれを言うたら喧嘩になるけど」
「融通ねえ・・・」
「物事は純粋だけではいかんのよ」
母の言うことも一理あります、純粋すぎると、融通が利かない。自分の信念を曲げないで、世の中の様々な出来事を受け入れることが出来る、柔軟な思考を持つことも必要だと思います。
大木の幹を彩る若葉かな
母は樹齢を重ねた大木の幹に芽吹いている色鮮やかな若葉を詠みました。
「老木も瑞々しい若葉をつける、歳を重ねながら若い頃のような純粋さを持っていることも大切かも知れないね」とこの句を詠んでくれました。
老木が若葉をつけると、樹の勢いを感じますよね。母から私へのエールだと思います。
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