頑張った!親子二人三脚のブログ発信
私は自分の事をチャレンジャーだと思っています。
これまでの人生はほとんど自分の意志で切り開いてきました。
大学を卒業して地元のテレビ局に就職しましたが、誰に助言を受けたわけでもなく自分自身でその仕事を見つけました。
私の人生はこれまでラッキーの連続だったように思います。
大学3年の春休みに何気なく自宅でテレビを見ていて、番組のアシスタント募集の告知が流れました。それにビビッときて応募したことが一つのラッキーです。
これからの進路を決めかねていた私に、そのアシスタントの募集告知が新たな道を切り開いてくれました。
たくさんの応募者の中から、3人が選ばれましたが、アルバイトとして仕事をしていくうちに、上司から採用試験を受けてみないかとお誘いを受けて、テレビ局に入社する糸口が見つかったのです。
そのことがきっかけでアナウンサーの試験を受けることになり、入社してからはアナウンサーやディレクターとして、マスメディアの仕事を43年間続けました。私の人生にとってかけがえのないたくさんの思い出と経験を積んだ歳月でした。
人生のエネルギーの大半を注いできた職場を2年前に定年退職し、根無し草になった私は、リタイヤしてもなお今までのように自信を持って生き生きと生きていきたいと思っていました。
このままでは死ねないと思ったのです。
私にとっては仕事を辞めることは人生の終わりを迎えるような感覚でした。
だからこそ打ち込める何かを始めなければと、新しい自分の居場所を探すことに一生懸命になったのです。
そんな私がやってみようと思ったのが「ブログ発信」です。
それも私だけのブログではなく、母と私が二人三脚で作る親子ブログです。
母は90代、私は60代、高齢者の二人が仲良く綴る親子ブログを新しい人生のスタートに合わせてやってみたいと思ったのです。
ブログを始めた頃は母も私もアップアップしていましたが、ブログ発信から間もなく2年を迎える私たちは、今、それぞれが生きがいを見つけて充実した毎日を送っています。
私たちが親子でブログを始めたのはラッキーでした。
私は仕事のようにブログを毎日書いていますし、母は90代とは思えなクリアな頭でこれまで以上に生き生きと楽しい時間を過ごしています。
私たち親子は似た者同士で、決めたことはとことん突き詰めるタイプです。中途半端は許さない、自分が納得しないと満足しない、めんどくさい女子です。だからこそこうして諦めず、妥協することなく発信し続けているんだと思います。
その道のりは決してやさしいものではありませんでした。
私は自分の中にフツフツと生まれる創作のマグマを噴出させる場所が欲しかったのです。それも個人的なエッセイやコラムを書くだけでなく、オリジナリティー溢れる内容にして、読む人が興味を持ってくれるブログを発信したいと思っていました。
考えてたどり着いたのが親子ブログです。
私だけでなく、人生経験豊かな母のメッセージも加えれば、きっと多くの人の共感が得られると思ったのです。
中途半端な発信はしたくなかったので、3ヶ月間は毎日自主トレーニングをしていました。発信しないブログを書いて、コーナーを吟味したりブラッシュアップを重ねていたのです。
長年、俳句をやっていた母の俳句のコーナーは初めから作りたいと思っていました。母も俳句のコーナーにはとても乗り気でした。自分の作品が人の眼に触れる事が嬉しく、また俳句を愛する人が増えることを願っていたようです。
しかし、親子で創作するブログならではの柱になるコーナーが中々思いつきませんでした。一つの試みとして母と私のリビングでの会話を文字に起こして書いてみました。方言で、さりげなく会話している飾りっけのないトークです。
自主トレで書いたブログを友人に見てもらうと、そのコーナーがとても面白いと言ってくれました。私は第三者の意見を大切にして、親子が気取りなく方言で話すコーナーを作る事に決めました。
母はそのコーナーに乗り気ではありませんでした。
「何で方言で話さんといかんの、自分らのプライベートな話なんか人にさらけ出すんは嫌なんよ、そんなんなら私は協力せんよ」
母の気持ちも理解できましたが、私はどうしても親子ブログらしい発信がしたかったので何とか母を説得しました。
「コーナーは長くせんけんね、お母さんは言いたい事を言うてくれたらええ嫌ならコメントせんでもええし」と何となく母を丸め込んだのです。
今から思えば方言トークのコーナーを作ったのがラッキーでした。
親子ブログの色が鮮明になるコーナーになったからです。
私が書くエッセイとそのエッセイに関して話す親子の方言トーク、そして季節に合わせた母の俳句、私たちの親子ブログは3本立てにする事が決まりました。
次に必要になったのがイラストです。ブログの3つのコーナーをそれぞれ際立たせるためのコーナータイトル的なイラストが欲しかったのです。
著作権などの問題がなく、すぐに使えるイラストが必要だった私に、いいアイディアが閃きました。
母にイラストを描いてもらおうと思ったのです。これもラッキーな発想でした。
長年日記をつけていた母は、文章と共にその日の出来事に合わせたイラストを添えていたのです。そのイラストは上手ではないけれど、ヘタウマで味がありました。
私は母に言いました。
「お母さん、イラストが上手いけん、私たちのブログのヘッダー画面とコーナーのイラストを描いてくれんかなー」
母は嫌だと言いました。
「私のイラストなんかブログには相応しくないわい、私はイラストなんか描かんよ、絶対に」と、なかなか首を縦には振りません。
そこで私は考えました。
「お母さん、毎日詠む俳句もイラストとコラボさせたらええんじゃない、お母さんの俳句をもっとたくさんの人が見てくれるよ、イラストと俳句のコラボええわい分かりやすいし」と説得したのです。
すると母は「俳句が生かされるイラストなら描いてみるんもええかも知れんねー」と言う発想に変わり、イラストを担当してくれることになりました。
母とイラストとの出会い、これが私たちの親子の奇跡に繋がります。
ブログの形が見えたので、いよいよ発信場所探しです。
どうすればいいのか思いつかない私は、友人にSNSに詳しい女性作家を紹介してもらってやっと発信までこぎつけました。不得意な事があったとしても人に頼りながらでも目標に近づく努力をする。これは何かを始める時の鉄則だと思います。
初めてブログの投稿のボタンを押した時の感動と指の震えは忘れられません。その時の記事がこちらです。
自分たちが発信したブログを多くの読者の方たちが見て下さって、コメントまで付けて下さる。コロナ禍で閉塞的な毎日を送っていた親子にはうれしい反応でした。
90歳を越えたお年寄りが毎日、イラストを描き、俳句を詠んでいることに多くの方が興味を持って、優しいコメントまで書いてくださることに、母も驚いていました。
「お母さんの描いたイラストを世界の人が見てくれとるんよ、びっくりじゃろう」
母は「それは凄い事じゃねー、私も頑張るよ、恥ずかしないように」
そう言いながら、見る見るうちにイラストの技術を上げていきました。
ブログを発信することで母の日常や表情が変わったのです。
何を描こう、どう描こう、技術を上げるためにはどうしよう、旬のイラストを描くためには何を吸収しよう、そんな思いで毎日描くための情報を集めるようになりました。
新聞や雑誌にはもちろん目を通し、知りたい情報は私に検索して欲しいと言ってきます。
母の脳細胞が親子ブログを始める前よりも進化しているのは歴然です。
母が嫌がっていた親子の方言トークのコーナーは私たち親子の心の内を知る大切な場所になりました。母の本音、娘の本音が知れて、これまで以上に親子の絆が深まっています。
私たちは本当にラッキーでした。
親子ブログを始めたことで私たちの日常が豊かになり、お互いを理解することに繋がっています。
一番のラッキーはそれぞれが生きがいを見つけた事です。
今日も二人はリビングを拠点に世界に向けて親子ブログを発信しています。やってみて本当に良かったです。
最後に私たち親子のブログを幾つかご紹介させていただきます。
覗いていただけたら嬉しいです。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。
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