米を研ぎながら人生を見つめる
お米を研いでいて、少しずつ濁りが無くなっていく磨ぎ汁を見ながら私は不思議なことに人生に似ているなと思いました。
日々の家事には終わりがなく、人が生きていく上で米を研ぐ行為もきっと続いていくのです。
家族の人数分の米を計って、ゆっくりと、一粒一粒を無駄にしないように水を変えながら、研いでいく。
優しくいたわるように、そして時には力を入れて米を研ぐ、初めは濁っていた磨ぎ汁が少しずつ透明に近づいていく。
それは人が人生を重ねて様々な経験をしていくうちに、少しずつ心が磨かれていく姿に似ているなと思いながら私は米を研いでいました。
その作業が、美味しいご飯の炊きあがりに繋がっていくのです。
研ぎ加減で、ご飯の焚け具合や香りが違ってきて、家族の食に影響を与えます。米のとぎ方が家族の健康を握っているのです。
私は米を研ぎながら、人生を見つめていました。大げさではありません、本当なのです。60歳を過ぎて、こんな不思議な感覚を持ちました。
今日は、どんなご飯が炊きあがるでしょうか。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《食べるお米があることも幸せよ》
美味しく夕飯を頂いた後のばあばとの会話です。
「お米を研ぐんでも春夏秋冬あるじゃろう、寒い時、暑い時、いろいろよそれが人生よ、食べるお米があることを考えることも大切なんよ」
「お米を研ぎながら、こんなことを思う私は」
「家族を思うけん考えるんよ、愛情が深なったと言うことよ」
noteがなければ、私もこうして思うことを書かなかったと思います。投稿することで、自らの変化や成長も本当によく分かるようになりました。
【ばあばの俳句】
御仏に幸めく里や夏木立
森が残る地域には樹齢を重ねた自然林も多く残っています。木の豊かな場所には仏師もいて、仏様を完成させて、地域に幸せを届けています。母はそんな山里の様子を詠みました。
仏師の工房には夏木立から吹き抜ける、柔らかな風が吹き込んでいます。
ショートショートストーリーで投稿した木の精のお話からこの句が生まれました。
▽「ばあばの俳句」「毎日がバトル:山田家の女たち」と20時前後には「フリートークでこんばんは」も音声配信しています。お聞きいただければとても嬉しいです。
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私のアルバムの中の写真から
また明日お会いしましょう。💗
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