見出し画像

京都本「京都ぎらい」井上章一


大河ドラマ"光る君へ"第38回「まぶしき闇」観ました。

イヤミの先制攻撃を仕掛けたまひろとお久しぶりのききょう殿。このままクドクドと褒め殺しを申すのかと思いきや、最後にハッキリと源氏物語を憎んでいると作者であるまひろ本人に思いを伝えました。私はネトネトコソコソヒソヒソが大嫌いなので、藤原伊周の陰湿な呪詛に毎回腹立たしく思っていました。それに比べたら今回のききょうはとても潔くてまひろを応援している側ではあるけれど見てて清々しかったです。死してなお皇后定子の身内を支えるききょうの心意気。私なんて光る君の如く推し変ばかりする人間ですので純粋に尊敬します。余談ですが、私は何かを絶対的に信じる人によく嫌われます。尊敬していることに嘘偽りはないんですがね。京都とか宗教とか多面的に分析する行為が一途の人にとっては気に食わないみたいでまさにまひろとききょうの構図と同じになっています。


『書くことで己の悲しみを救う。まひろ様の言葉がなければ私は死んでいたかもしれない。書いているうちにまだ生きていたいと思うようになった。』

和泉式部の言葉に甚く共感をしました。私も恋に破れて病で母がいなくなり、生きる目的を失って誰かのせいにすることもできず終わりを考える様になりました。ふと学生の頃に大好きだった京都のことを思い出し、これまでの人生を振り返って今文字を書いています。仰々しい言葉になりますが一言一句がワタシの遺言みたいなものです。誰かの役に立ちたくてついでに自分のためになっているって感じですね。


あかね(和泉式部)
『書くことで命が再び息づいてまいったのです。』
まひろ
「書いていればもろもろの憂さは忘れます。」
あかね
『お仕事なのですね。』


二人の会話は並の女房では理解不能だったことでしょう。漢字の「忙」は心を亡くすと書きます。忙しくすることで悲しみや苦しみの感情を遠くへ追いやる。マンガやドラマでもそういう演出が時々見られますよね。まひろの源氏物語への思いをお仕事だと表現した和泉式部。この意味深な一言に視聴者は様々な思いを張り巡らせます。和泉式部は自分のために書き、紫式部は読者のために書いている。だから「仕事」という表現をしたのだと私はイメージしました。

そういえば第38回で一つ気になったことがあります。藤原斉信が一言も発しなかったんです。何度も登場シーンがあったのにセリフがなかったのでかなりの違和感を覚えました。喉の調子が悪かったのでしょうか。真相が語られるかもしれないということではんにゃ金田さんの配信動画を観てみました。単に私の杞憂だったみたいです。

大河ドラマの感想は以上です。さて今回の話は読書感想文になります。



読んだキッカケと本の影響力


葉室麟さんの随筆にこの本のことが書かれていて衝撃的なタイトルだったので読んでみることにしました。

なるほどそういうことだったのか。いやね、一時期テレビやネットで京都の地域差別が話題になったことがあったんです。宇治や山科は論外で京都駅より南は京都ではないとかまぁヒドいもんでしたよ。「琵琶湖の水止めたろか」もその時に聞きました。おそらくこの本が元凶キッカケになって大きく広がってしまったのでしょうね。



批判レビューを評価する


私はいつも読者の評価をチェックすることにしています。

世の中には数多の本があり全てを読むことはできません。一冊を読むのにどうしたって数時間はかかってしまいますから口コミと試し読みは私の必須条件です。Amazonのレビューを覗いてみたところ辛口のコメントを見つけました。


「内容に対して文書量の水増しが多い」
「読後感が浅く物足りなさを感じた」


指摘どおりの確かに薄い内容でクレープ、いや京都風にいえば湯葉のような引き伸ばし表現が多々見られました。おそらく恨み辛みで感情的になり冗長な文章になってしまったのでしょう。しかし全体の1/3を過ぎたあたりで冷静になったのかムダな部分はだいぶなくなっていました。生まれ故郷は個人のアイデンティティなので傷つけられて怒る気持ちは理解できます。でもだからといって怒りの感情を不特定多数に向けて発散させても何一ついいことなんてありません。自虐風自慢の面があり多数の読者が共感する類のものでもなかったので一部読者の反発心により否定的なレビューが書かれてしまったのでしょう。やはり『短気は損気』です。

後半部分もウエストランド井口さんのようなひねくれ論調のままでしたが、考えさせられる深いテーマもありましたので最後まで楽しく読むことができました。うーん、京都を知らない人が読んでしまうと偏見を生んでしまうかもしれなくて、特に純粋無垢な少年少女には読ませたくないですね。18禁相当で知り合いにはオススメできません。まぁタイトルがタイトルだけに普通の人は手に取ることさえしないですかね。人を選ぶ本でした。



井の中の蛙大海を知らず


洛中洛外の差別意識は大阪人(厳密には遊牧民)の私からすると笑止千万。

インバウンドが観光の主流となった今、住みにくい洛中から住みやすい洛外へ移住する人がどんどん増えています。そりゃそうです。バスは積み残しが出るほど混雑しているし街中は私を含めた得体のしれない観光客で溢れかえっています。車で移動するにしたって渋滞が激しいし、オーバーツーリズムの真っ只中に住んでいて良いことなんてほとんどありません。


確かに外から見ると京都は尊い存在に見えます。

しかし歴史を軸にしてみると京都が中心だった時代はそれほど長くはなく、平家が神戸へ遷都したり源氏が平家を討ち滅ぼして鎌倉へ移ったりと政治の表舞台はあちこちに揺れ動きました。後醍醐天皇を擁した足利尊氏が六波羅探題を打ち破り京都室町に幕府を築いたものの応仁の乱でボロボロになります。戦国時代になり尾張三河の三英傑が京都を復興させましたが一地方都市という性質は変わらずに、江戸時代から今日まで日本の中心は東京となっています。


天皇といえば明治時代以降のイメージをする人が多いかと存じます。

京都検定の勉強で天皇の歴史を調べて驚きました。ロシア船や黒船が日本に来航する前の江戸時代中期まで天皇の権威は洛中周辺にしか及んでいなかったのです。歴代天皇の呼び名になっている諡号。京都の地名が多いのはその現れの一つになります。対外的に日本国大君(日本国王)を名乗っていたのは征夷大将軍であり天皇は国際外交の権限を持てなかったので京都の地名で十分でした。

ゆえに先祖代々洛中に住んでいる人がどれだけイキったところで現在の住環境と歴史的背景を鑑みると、「それがどうした」という結論になります。日本経済を牽引している世界の任天堂。その本社は洛外で今話題のニンテンドーミュージアムは宇治市にあります。つまり洛中洛外の差別意識は今となってはまったく意味のない強がりでしかなく、差別するほうが馬鹿にされるという新時代になりました。



知らなかった文化観光施設税


シニカルな内容が多くて人を選ぶ本ではありますが、宗教税に関する大変興味深いことが書かれていたのでここでもその問題について考えてみようと思います。

『ロームシアター京都』のWikipediaには工事費用捻出のためにネーミングライツを利用したという記述があります。しかしその前身である京都会館建設については何も書かれていません。著書を読んで知りました。京都会館は文化観光施設税を財源にして建設されたものだったんです。ちなみに『古都保存協力税』の項目には京都会館のことが書かれていました。

江戸や明治時代に実施された「上地令」みたいに強権を振るえば新しい古都保存協力税を導入することはできます。しかし今は民主主義体制で議会に司法と乗り越えなければならない高い壁がいくつも存在します。いくら財政難だからといってそう簡単に手をつけることはできません。

宗教活動の無税に賛成の立場ですが、拝観料に関しては井上章一氏の言い分も一理あってかなり難しい問題です。有名な寺社でさえ土地を切り売りしている現実があるわけですし、信者を騙して悪どい集金をしている宗教法人がのさばる社会は以ての外です。そもそも一番の巨悪はろくでもない金の使い方をしている行政ですが私の及ばぬところなのでこの話はここまでに致します。



将棋文化とチェス文化


本書と葉室麟さんが『古都再見』でご指摘されていますように、明治以降の日本は怨念を軽視し自画自賛ばかりで敵に対しての敬意や配慮がなくなってしまいました。

靖国神社への中国や韓国の反発は、マスコミによる対立煽りが最初のキッカケでしたけれど、日本の英雄を称えるだけで外国に対する敬意がまったく見られないのが今なお国際摩擦を形作る一つの要因ではないかと私は見ています。日本人に限定せず戦争で犠牲になった人たちすべての慰霊施設であったなら、少なくとも他国から戦争礼賛という批判はなされなかったはずです。

徳川幕府は豊臣家に関わるモノすべてを破壊しませんでした。現代の我々が豊臣家ゆかりの遺構を見学・参拝できるのは日本古来の畏怖と畏敬によるものです。「怨霊を鎮める」という概念はオカルトではありますが、一方で異なる考えを持つ者への敬意と考えることができます。大陸では普通だった一族郎党みなごろし。日本では異質であったため今でも歴史ファンの間で織田信長や豊臣秀吉のむごい所業が語られています。豊臣家滅亡の一番の原因は豊臣秀次一族に対するひどい仕打ちだったのではないのかと。

私は大河ドラマとともに坂の上の雲も視聴しています。昔の日本であれば敗者となったバルチック艦隊を弔う神社が国家総出で盛大に作られていたはずです。いつの間にかそういった慣習はなくなり自国の英霊を祀るだけ。近代日本は大陸式の文化に染まりきってしまいました。アニメやマンガのヒーローたちが仇敵に対して敬意を払うように昨日の敵は今日の友へと回帰しなければいけない。それこそが日本らしさではないのかと感じています。

多くの人に伝わりやすいので今の日本政治を例にします。

石破茂新総裁が高市早苗氏を幹事長に据えることができていればここまで内閣支持率が低迷することはなかったでしょう。ワンチームの自民党に対しバラバラの野党は超早期解散戦術でなすすべなくやられた可能性が大いにありました。時々ワンマン社長が新風を巻き起こすことがあります。それはたまたま時代に合っていただけのことで時が変われば一気に廃れます。当時社長だったゾゾタウンの前澤友作氏。彼の経営が段々うまくいかなくなったのは記憶に新しいです。真反対の人間を傍に置いておくと考え方に大きな幅が形成されます。自民党が長らく与党の座につくことができたのは左右をうまく取り込んだからです。イエスマンばかりを部下にするとあっという間に空気が淀んですべてが腐ちてしまいます。斎藤元彦前知事のパワハラと急進的な改革が危険視されているのはそのことを皆理解しているからです。


寛容性が大事であると私は主張しました。
しかし狂人や敵意を剥き出しにしている人に対してはその限りではありません。狂人は狂った心が伝播し自分の心も壊れてしまうので関わりたくありません。もう一方は話し合う余地がないので人格否定に終始し喧嘩別れするのが目に見えています。私は他者の意見を尊重し同調や迎合をするほうですがこの2タイプについては正直勘弁してほしいです。
最近まっとうな提言に対しても誹謗中傷扱いにしてブロックをする人がいます。寛容のフリをしている独裁者ほどタチが悪いものはありません。人と人とが完全にわかりあえる日というのは永遠にやって来ないのでしょうね。でも他者の理解は社会で生きるために必要なことなので少しずつ進めていきたいです。

《補足》



結び


自身に向けられた悪意の意趣返し。

私も京都に対して穿った見方をします。しかし作者と根本的に異なるのが上記の行動になります。ホリエモンが広島の餃子屋をSNSで吊し上げフォロワーの大量クレームによりその店は閉めざるを得なくなりました。インフルエンサーが自身のファンに攻撃させる行為は卑怯で褒められたものではありません。

差別を助長するからという理由で黒歴史は永遠に封印しなければならないと考える人がいます。しかし私は臭いものに蓋をするのは違うと思っています。かつての京都にこういう風習や慣習があったことをしっかり認識しなければ同じ過ちを何度でも繰り返すことになるでしょう。


あと、この本が発行されたのは2015年であることを留意する必要があります。

たった十年ほど前のことですがまだ昭和の価値観が許された時代でした。百年以上前の歴史を掘り返し今の価値観で相手国を詰る。これと同じになるので今の風潮で当時を叩くのはアンフェアであり控えるべきです。まぁかなりのセンシティブなテーマだからベストセラーとなり多くの人がこの本を手に取ったのでしょう。4000字程度の文字をスラスラ書けるくらい感想文を書くのに適した本でした。

今現在、地域差別は完全にご法度で禁句になっています。埼玉県の自虐も本気で怒る人が増えて雑談ネタとして使えなくなりました。愛国心を煽る政党の代表がつい先日鳥取県を馬鹿にして炎上したばかりです。私自身、京都のことを取り扱っていますので今後も不快感を生じさせないよう敬意を持って細心の注意をしていきたいと思います。

差別されたくないので差別をしない。私の揺るがない信念です。



参考文献




【広告】

便利な目次、アーカイブマガジン、限定記事が閲覧できるプラスαのメンバーシップサービスです。

ワンランク上のゴールドメンバーでは専用掲示板の利用が可能となり、ご希望であればこの広告欄に会員様のnoteを宣伝することができます。皆様のご加入をお待ちしております。

いつもありがとうございます。いただいたサポートは活動費に使わせていただきます。