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「東海道五十七次・枚方宿」をもっと紹介したい
大河ドラマ"光る君へ"第42回「川辺の誓い」観ました。
源氏物語五十四帖の一つ、『雲隠』は巻名のみが現代に伝わり本文は一切ありません。散佚した説、光源氏の死を表現するためにあえて何も書かなかった説など、その理由を巡って後世の人間が必死に議論をしています。しかし結論には至っていません。大河ドラマでは役目を果たしたということで藤式部は筆を下ろし実家へ帰ります。一条天皇が亡くなり中宮彰子が立派に成長したので自分は不要だと思ったのでしょう。
『雲隠』を含める数え方は中世以前に多く、含めない数え方は近世以後に多いというウィキペディアの情報を知って私は驚きました。後者は何も書かれていないのだから無きモノにしてしまえ、という出版社のビジネス的な都合が垣間見えます。私は大河ドラマと同じ解釈の前者を支持します。次のページを開いたら紙面は真っ白。人気漫画でも採用されている手法です。紫式部は大変聡明な方で、劇中では読者の想像に任せるというスタンスを天皇に対しても守り通してきました。光る君の死はあなたたちのイメージで補ってくださいね。これが『雲隠』の真相ではないかと私は考えます。
庵野秀明監督作品『エヴァンゲリオン』では、作者自身が伏線も裏設定も考えていないのにファンが議論を重ねてたくさんの考察が生まれました。雲隠に何も書かなかった紫式部は庵野監督と同じように光る君の最期が思いつかなかっただけなのかもしれません。キレイに完結するのが苦手な天才作家は今でもたくさんいます。ハンターハンターの冨樫義博さんが一番有名な例でしょう。4年ぶりに最新作が11月に出る涼宮ハルヒシリーズもそうですよね。読み手の想像力は時に原作を遥かに超えることがあります。源氏物語の噂が広まり30巻あたりで貴族からの期待が相当膨らんでいたのでしょう。暴発に近い期待に対して紫式部はあえて書かないという選択肢を選んだ。いいえ、それしか残されていなかったのかもしれません。
前回、まひろは役割を終え藤原道長は死に向かいつつあるという考察をしました。展開予想が的中してしまった私は宇治川のシーンで泣くに泣けませんでした。コナンやワンピースの考察はあらゆる方面からなされていて、一種のネタバレとなり作者はにっちもさっちもいかない状況に陥っています。長編モノの宿命とはいえ考察は感動を薄める大きな要因となります。考えるにしてもほどほどにしたほうがいいのかもしれませんね。今回の感想はこんなところでしょうか。
さて本日は『秋祭り日和と京都旅』をお休みしてこちらをお届けし致します。
はじめに
ブラタモリの放送だけでは不十分。枚方宿についてもっと紹介したいと思ったので記事にしました。
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2024年2月某日に散策したけれどローカルすぎてお蔵入りにした枚方宿散策の画像たち。
NHK『ブラタモリ』放送を機に思い切って蔵出しをすることにしました。この勢いを逃したら永遠に日の目を見ることはないでしょう。いいチャンスにめぐり逢いました。
目次
枚方舟運・枚方浜(問屋浜)跡
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この日は雨が降っていました。折り畳み傘を広げて向かったこちらは『枚方浜跡』になります。
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過書船と伏見船の番所
通行手形を持つ特権川舟のことを過書船と称し、1716年には、乗客を主とした三十石船671艘、貨物運搬を主とした二十石船507艘が、大坂と京・伏見の間を航行していました。
一方、過書船の営業独占に対抗して、1698年に伏見船の営業が認められたため、両者は激しく競合しました。泥町村には過書船・伏見船の船番所がそれぞれ設置され、淀川の上下を監視する船を監視しました。
三十石船とくらわんか舟
三十石船は船頭4人、乗客定員28人で、伏見から大坂への下りは半日か夜半、上りは竿をさしたり、網を引いて船を曳き上げるため、一日か一晩を要しました。
船客相手に飲食物を商う煮売茶船は、「餅くらわんか、酒くらわんか」という売り文句から俗に「くらわんか舟」と呼ばれていました。
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現在地は当時淀川が流れていて、過書船の番所と伏見船の番所がそれぞれあり上下の船を監視していました。
川の関所ですね。
浄土真宗と枚方寺内町
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次に訪れたのは浄念寺さんです。
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タモリさんが写真付きの石碑を褒めていらっしゃいましたね。
枚方宿の街道沿いにはこのような昔の歴史を示す碑が各所にあるんですよ。こちらは昭和30年代『浄念寺前の京街道』の写真になります。
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そしてこちらは昭和30年代『泥町のまちなみ』です。
泥町って今じゃ考えられない町名ですよね。泥という語感と飛び地が非常に多かったことから明治時代後期に三矢町に併合されて泥町の名は時とともに消えました。
(枚方市公式サイトより参照)
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浄土真宗と枚方寺内町
枚方は浄土真宗とゆかりの深いところでした。枚方と浄土真宗の出会いは、戦国時代の順興寺建立に遡ります。1559年に、蓮如第27子の実従がここに入寺し、一家衆(本願寺宗主の一族)寺院として栄えます。実従は『私心記』という日記を残しており、枚方に住む人々の様子をいきいきと描いています。これによると、順興寺を中心に蔵谷・上町・下町などの町場が形成され、油屋、塩屋、味噌屋等の屋号を持った商人等、多くの人々が住んでいたことがわかります。このような真宗寺院を中心とした集落を寺内町といいます。
枚方寺内町は現在の枚方上之町を中心に台地上にありました。しかし本願寺勢力の低下とともに、順興寺は廃され寺内町は衰退します。江戸時代になると、淀川沿いに枚方宿が形成され、台地上にあった都市機能も宿へと映ってきたと考えられます。
その後、本願寺は東西に分裂し、1682年に東本願寺は、枚方に再興した寺院に願生坊の名を与え、また、西本願寺も浄念寺を本寺兼帯所(本山直轄の寺院)として特別な扱いをしました。地域の人々は願生坊を東御坊、浄念寺を西御坊とも呼んでいたようです。
解説板を読んでまず驚いたのは本願寺蓮如の第27子を順興寺に入寺させたことです。
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あらゆる煩悩を捨て去る仏教において妻帯は教義で禁止されていたはずです。調べてみたらどうやら浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が肉食妻帯を許していたんですね。ちなみに本願寺蓮如は5人の妻と27人の子がいたそうです。凄まじいカリスマ性ですよね。
現代に例えると、ポリコレに異議を唱えて真の多様性を訴える時代の寵児といったところでしょうか。
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雪にとける力はない
太陽の力でとける
枚方市立鍵屋資料館
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初めて鍵屋資料館に訪れたときに撮ったモノです。
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え?休館日なの?
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雨が降っている中ここまで来たのにガックシ。
この日を境に定休日を事前に調べてから出発することにしました。行き当たりばったり旅だとこのようなアクシデントに出くわします。
数週間後の三月、梅の花が咲き誇る時にリベンジして鍵屋資料館を無事見学することができました。
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仕方ないので外観を撮影することにしました。
京都の町家とは違って犬矢来や出格子、ばったり床几はありません。そういえば「いけず石」も枚方宿で見かけませんでした。放送で説明されていたように、京都方面から大坂へは川を下るのが主流でしたから京文化はあまり伝わらなかったのでしょう。
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袖壁の鍵屋マーク。尾についているのはチリンチリン?
落とした時に鳴るものをキーホルダーにつけておくと便利ですよね。心配性の私はそうしてます。
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提灯?明かり?
名称がわからなくてごめんなさい。金網がいい雰囲気を醸し出していますよね。
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てっぺんにあるのは「越屋根」になります。
採光と換気の役割を果たします。全国に目を広げると富岡製糸場の繰糸場が有名でしょうか。あちらは規模がすごくてめっちゃ細長いです。
枚方凍氷
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最後に地元で有名なかき氷店を紹介して締めと致します。
現代の茶屋ですね。
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ウェルカムボード。
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営業時間と定休日、メニューが書かれています。
黒板といえば黒板消しの粉を吸引する機械ありましたよね。掃除をするのが面倒で窓の外の壁をタンタンと叩き払ったものでした。近年はホワイトボードが主流になって黒板はめっきり見かけなくなりました。
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おとなになってから感じる黒板の味わい深さ。
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枚方市にはバレーボールのプロチームがあります。
選手が時々立ち寄っているとか。
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期間限定の信玄餅味のかき氷です。
正式な品名は忘れました。餅は入っていません。
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やっぱり黒蜜ときな粉の相性は抜群ですね。
ある方のnoteコメントにも書きましたがかき氷の味の中で一番好きかも。
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小雨が降る肌寒い季節の早い時間だったので私しかいませんでした。でもめっちゃ美味しかったです。歩き回ったあとの冬のかき氷超オススメ。寒いのがどうしても苦手な人は焼き芋も販売していますよ。
人気店ですので夏の暑い日は大盛況で長蛇の列になることがあります。お気をつけくださいませ。
結び
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いかがでしたでしょうか。
東海道の宿場町って当時の景色がほとんど残っていないんですよね。旅行系ユーチューバー・スーツさんの『東海道自転車旅』を拝見してそう思いました。枚方宿は結構頑張っているほうだと思います。本陣や御茶屋御殿が残っていればなおよかったんですけどね。現在は公園になっていて面影はありません。碑と解説板があるのみです。
枚方宿の観光は石清水八幡宮へ参拝、もしくはひらパーで遊び尽くしてその帰りに立ち寄るぐらいがちょうどいいかなぁって。淀川にはサイクリングロードが整備されていますので枚方を中間地点の休憩場所にするのもいいかと存じます。
以上、ブラタモリの補足をしたかった枚方宿紹介でした。
参照サイト
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我がメンバーシップの名前の由来は枚方宿のくらわんか船から来ています。食らわんか~♪
追記
『テレビドラマ感想文』応募作品の中で、スキの週間一位を獲得しました。皆様ありがとうございます。感謝!!
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