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【hint.96】あなたは最近、どんな夢をみましたか?
おはようございます。東京・吉祥寺を拠点として活動している、山田 鷹(やまだ たか)です。
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今朝は、いくぶん冷んやりと過ごしやすい東京です。
西日本など、猛暑の続いている他の地域はどうなのでしょうか?
昨日なにかテレビからちらっと聞こえてきたように思いますが、今回の連日の猛暑は災害レベルだとか。
僕自身も体調を崩してしまったのであまり大きな声では言えませんが、体調管理にはくれぐれも気をつけたいところですね。
関東の方には、台風もまた近づいてきているようですし。
さて、昨日は「夢」について、またまた熱く、真剣に、でもどこかゆるっとまったりと語り合いました。
「夢」といっても、夜寝ている時にみる方の「夢」ですね。
月に一度の「原書で学ぶアドラー(原アド)」の活動日だったのです。
ちなみに今は、「The Science of Living」という、アドラー自身が英語で書かれた著書を、一章ずつ一緒に読み進めています。
正直ね、この「夢」というテーマに関しては、僕自身あまり興味のある方ではなくて、おそらく一人でこの章に差し掛かっていたら、あまり真剣には読まずに飛ばしてしまっていたんじゃないかと思うんですね。
ただ昨日は、「原アド」での活動でこの「夢」に関する章を取り扱うということで、かなりしっかりと読み込むことができました。
そして、アドラーの「夢」に関する理論を、もちろん全てではないと思いますが、(まずは)かなり知ることができたように感じます。
およそ100年前に活躍していたアドラー、そしてその理論体系を現在まで繋いでくださっている方々が大切にしている重要な概念の一つに、「全体論」というものがあります。
これまでは、「人は、『意識』とか『無意識』とか、そういった部分に分けられるのではなくて、一つなのだ」といったニュアンスで受け取ることの多かったこの「全体論」。
今回、「夢」という『無意識』の代表のようなものに関するアドラー自身の主張に触れられたことで、これまでに抱いていた「全体論」のイメージよりもかなり深く、そして僕個人としては、現代を生きる中での肌感覚により近い、納得感のある主張に触れられたような気がしています。
昨晩、僕らメンバーの中でまとまった話としては、単に「人は部分に分けられないよ」というよりは、
「『意識』とか『無意識』とか、そういった『部分』に分けて理解したり、現実を捉えたりすること自体はべつに論点ではなくて、むしろ、そういったいくつかの『部分』として認識したものそれぞれが、互いに協力して、なにか一つの目標・目的へと、個人を向かわせるものであると考えましょうね。互いに矛盾するものと理解するのではなくてさ」と、
そういったニュアンスに、主張のエネルギーが割かれているような印象を受けるね〜、という結論に至ったように思います。
これぞ原典、原書にあたる醍醐味ですね。
昨晩も、またまた楽しい時間が過ごせましたとさ。
あ、そうそう。
昨晩、けっこう強めのトーンで「僕、あんまり夢みない方なんですよ〜」とか、「夢みてもあんまり覚えてなくて」といっていたんですがね、
おもしろいことに、今朝にかけて3つぐらい夢を見ました!笑
しかも、かなりおもしろい夢だった!!
ただ、こうやって他のことを考えているうちに、すっかり忘れてしまいました。。。
・・・ま、いっか。笑 なんかよくわからんけどおもしろかったし。
あなたは最近、どんな夢をみましたか?