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【hint.229】なんというか「絶妙な心地よさ」とでも言えばいいのだろうか
それだけだった。なのに胸を突かれた。
鳥がほんの一瞬、きゅっと小さく身をすぼませたと思うと、ふわりと元に戻る仕草をする。それに似ていた。
先生は今、私たちに「敬意」を表した。謹み深く、謙虚に、それでいて卑屈さがなかった。
おじぎは、ただ「頭を下げる」ことではなかった。頭を下げるというシンプルな動きに、あらゆるものが含まれていた。「形」そのものが「心」だった。いや、「心」が「形」になっていた。
なんというか、この表現がとても好きだ。
僕はこの数年、ほぼ毎週金曜日の午前中は決まった行動パターンをとっている。
「開店してすぐの書店に立ち寄る」というのも、その流れには入っているから、毎週決まって同じような時間帯に同じ書店に姿を現しているのだけれど。
この本は、映画化されるということで特設ブースに並べられているものが目に入り、パラパラと立ち読みをして、すぐに購入をした一冊。
購入した時はまだ映画も公開される前で、僕自身も、この本を買って「まえがき」だけを読んでそのままにしてしまっていたのだけれど、つい二週間ほど前から、「なにか心を整えたいな」と感じる時と言えばいいのかなぁ……あるいは、昨日の朝noteにヒントをもらうのであれば、「『動作を動作として取り扱う類のもの』を、軽妙なリズムのある文章にしてもらえているものに触れたい」と感じる時といってもいいのかもしれないが、そういう気分の時に手にとっては、特にどこまでとも決めずに気のままに読み進めているところ。
つい昨日また手にとり読んでいる中で、なんというか「絶妙な心地よさ」とでも言えばいいのだろうか、文章のリズム感も好きだし、
謹み深く、謙虚に、それでいて卑屈さがなかった。
特にこの部分。
「謹み深さ」と「謙虚さ」と合わせて、「卑屈さの無さ」も一緒になっていることにとてもバランスの良さを感じ、人としての爽やかさというか、変な飾りのない様子というか、そういった雰囲気を感じ取ることができるような気がして、とてもいいなぁと思った。
「たしか今もまだ上映してるよな」と思い立ち調べたが、スケジュール的に観に行くことは難しいと判断し、映画は断念することとした。
僕の場合、一度映像化されたものを先に観てしまうと、原作本を読むことができなくなってしまうことがほとんどだから、「この本を読んで楽しみなさいね」ってことなんだなと。 そんなメッセージを受け取ったことにした。
またいつか、映像には別のかたちで触れてみたいなと思う。