【映画】自分がいない世界をモノとしてみる「日常」|とりつくしま
前振り
先日、久々に映画館で映画を観ました。
その時の戦利品はこちらですが↓
観たのはこちら↓
今回は、山田(仮名)の中にとっても無謀な挑戦でもある映画を騙る語るということで、「とりつくしま」を記事にしてみました。
前提条件
映画「とりつくしま」は、東直子の小説「とりつくしま」(筑摩書房)を原作に、娘の東かほりが監督・脚本を手がけた作品とのこと。
山田(仮名)の知識レベルでは、当然ながら原作も知らない、監督も知らないという、真っさらな状態で映画を観ています。
ちなみに、公式さんによると、こんなお話しだとのことです↓
んじゃ、なんで観に行ったのか?
あんまり言うと身バレしそうなんですが。
若かりしに共に学んだっぽいおもひで…を観たくなったということにしておきます。
ちなみに、原作は全く読んでいませんので、どんな話が気になる方は、朋美様の記事をご覧いただければと思います↓
筑摩書房もYouTubeで宣伝していたりします↓
役割
まず、この映画で死を考えたときに、私の中でふと浮かんだのは、立川談志と上岡龍太郎の対談の場面↓
これを解決するために"とりつくしま係"が登場するのかなと、とらえました。
死は誰にでも訪れるけれども、今死んだらどうしたいか? という願いを条件付きで叶えてくれる…という着眼点からストーリーが始まるのは、掴みとしては面白いなと思いました。
日常と非日常
この映画は、
の4話のオムニバスです。
話の流れとしては、トリケラトプスで、作品の世界観を引きつけてから3作という感じでしょうか。
"とりつくしま係"と話すシーン以外は、ただただ、毎日の暮らしであり、生きている者たちの息づかいであり、季節の移り変わりです。
現実世界と違うとすれば、そこには死者はおらず、モノ視点から観ることでしょうか。
ただ、本作品では、死も含めた日常を嘘くさくなく表現するのは、結構難しいと私は考えます。
ニュースの該当インタビューでもヤラセが普通に行われる中で、"日常"を違和感なく演技するのはかなりの技量が必要でしょう。
そんな中での23名の俳優たちが生み出す"日常"だからこそ、そのシーンに、その振る舞いに、観る人の感情が重なってくるんだろうと感じました。
加えて、ストーリーテラーである"とりつくしま係"の小泉今日子が、いい意味でも、悪い意味でも世間から見るとキャラが立ち過ぎているが故に、23名の俳優たちが演じる“日常“が、より際立っているように見えました。
エンディング
最後に流れてくるのは、インナージャーニーの陽だまりの夢↓
とりつくしまは、時間の進み方が忙しくないです。
そんなにゆっくりという訳ではないんですが、4作の主人公=モノになった主人公が相手を見守る時間軸で進んでいきます。
本作での時間の流れ…と呼応するのが、陽だまりの夢であり、話を総括する感じでエンディングに使われている曲です。
MVを観ても、とりつくしまが描こうとしている(と私が勝手に考えている)時間軸に非常にマッチしており、この映画を深く味わう好材料だと考えます。
優しさ
4作とも、"日常"が織りなす話が観る人の心を暖かくしてくれる、と同時に死が持つネガティブな側面が全く出てきません。
トリケラトプスだと、ツッコミを入れるこはるがいることで、渉とりおとの話がより真剣味を増したり。
あおいののような話で、"死"が全面に出てくると辛くなりがちな中、わずかに登場するママを描くも、あとは成長していく人たちを見つめていくことで、悲哀だけではない死を感じることができますし。
レンズでは、被写体が自分から他者に変わるがごとく、見守る対象が秋彦に変わるも、慈しみの気持ちは絶えず。
ロージンでは、空に儚く散っていく中で、未練をなくそうとする母・環を感じたりと。
"日常"の中にある暖かな感情をゆっくりと、ジワジワと、陽だまりにいるかのごとく、味わえる映像作品だと思いました。
財布は寒く
実際に観に行った映画館はこんな感じでしたが↓
私も、ここの前の道路はよく通るんですけど、目に入ったことがないですね。
慣れない映画館だったんで、気合いを入れてポップコーンMやら、ドリンクMを買って、実際に映画を観ていたら、食べきれず・飲みきれずで、財布には優しくないことをしました。
それはともかく。
たまに観る映画というものいいですね。
スマホの高解像度の画面で観るお手軽さもありますが、スクリーンで落ち着いて楽しむのも一興だと感じました。
(了)