都市部における、自然に触れられる施設として、動物園、水族館、博物館などの屋内施設が挙げられるだろう。それらは確かに自然に沢山触れられる場である。しかしそれらは、人の手で作られた以上、間取りや解説、展示の仕方など、場の全てに誰かの意思が介在する。 それは即ち、誰かの視界を借りて見る世界に他ならない。 自然そのものでは無いというのは、動物園で動物の繁殖が難儀している点も挙げれらるだろう(勿論その努力と研究には、本質的に重要な価値がある。そして何より、自力では一生かかっても見
同じ刺激に対しても、脳の回路がそもそもあるのか無いのか、回路がどう回っているのかの違いで、脳の受け取る情報量の多少や、どんな刺激として受け取るのか(ネガティブなのかポジティブなのか、どの五感の情報なのか)が、人によって異なるはずだ。 自分が変な場所で人より疲れるなと思うのは、その場面における回路が、人より多く形成されていて、その場面において受け取る情報量も、人より多くなっているからなのかもしれない。
自らの身体性を通じて世界を理解して、 しかもその感覚や知識を人に伝える場があるということ すごく憧れる その方向へ向かいたい
言葉は生き物だ。鮮度が大事だ。 その時々の瞬間を切り取って残すには、その時に、言葉に移し表さねばばならない。 なぜなら、後から書き表そうとしようとも、その情動は色や匂いは残ろうとも、もやのように散り、捉えどころのない残り香のような曖昧さでしか思い出す事ができなくなっている事がほとんどだからだ。
バーボンやバカルディのストレートを飲み、喉が焼ける感覚を感じながら、どこか物悲しいロックを聴くのが習慣になってしまった。 私は繊細な方だと思う。 人より過敏に人から受ける刺激や、人以外から受ける刺激を感じ取る能力、言い換えれば才能があるのだと思う。だから人一倍、疲れてしまうのだが、その中で感じ取れたものを反芻したいがために、余計な思考をぬぐい取って、より反芻した感覚を強めてくれる(感じがする)強い酒に頼ってしまうのだ… もう20数年生きてきたのでわかるが、私のこ
とにかく一心不乱だった。 ここ数日の雨で湿った落ち葉らが、駆け抜ける足の軌道を、ひとつ遅れて追いかけるように跳ねていった。 足取りは軽く、無駄の無い動きであるとはいえ、森の足場ではどうしても荒々しい走りになる。 落ち葉などを跳ね散らしながら、そして跳ねた落ち葉を腹や手足、たまに顔に受けながら、ほぼ全速力で駆けていた。 そして薮が視界を覆うような道であった。 4足だからなんとか通り抜けられると言うような、道というより隙間のような道を、全力で駆けていた。 薮は、
人は生まれつき、身の内に生きる術を持たない。道具や知恵を得なければ、生きていけない。 道具を得るには、自分で作る方法と、人から譲り受ける方法の二通りがある。前者に関して、作る技術は人から教わる必要がある。後者に関しても、その道具の利用法を、誰かに教わる必要があるだろう。 また、他者の力で作られたものを利用するという点で、もう名も知らぬ誰かの手に助けられている、と言えるだろう。 人は、自分一人では生きてはいけないのだ。 だからだろうか。人は、繋がりを求める。繋
動物がトラウマを克服するのは難しい。 できても、安心感を得て、トラウマに対して抵抗する気概が強くなるというところまでだろう。 トラウマの精神的苦痛が、身体的記憶に深く結びつき、切り離すことが難しいのだ。 動物は、明確に、抽象的な思考を言語化することができないからである。 なぜそんなに自分が怖れるのかがわからないのだ。 身体に染みついた精神的記憶を消すには、後から理屈で(頭で)原因を明確化する過程が不可欠だと考える。 動物はそれができないから、トラウマを克服するのが難しい
私は人に比べて、かなり好奇心が旺盛だと思う。 もちろん何でもかんでもという訳ではなく、いわゆる生物、理科に関わる分野が主で、少し国語と社会にも興味が湧く分野がある、という感じではあるが。 生物、理科も、自分の身の回りに通じる分野だと感じられる分野に特に好奇心が湧く。 学問は本来全て繋がっており、一つの世界の理解の仕方をする上でたまたま、現象を細分化することが有意だったから現在様々な学問分野があるというわけで、どんな分野でもどの分野にも関連はするのだが、直接的に、身
結局私には、口当たりの良い形に、安全に加工された自然しか手が負えないのかしら。 僅かにある、懐かしい場所では、地平線の遥か先まで、ひたすらに厳しく、あるがままの世界が広がっていた。 そしてそこで生きられるだけの身体を持っていた。 人間は身体だけでは生きられない。 生きるための術を、体外に道具として、後付けする事前提に作られている動物だからだ。 特に深い深い知識が無ければ(そして相応の道具を作れるか、持たなければ)、厳しい環境では生きていかれないのだ。 現代の日本では、
都会は人工物で溢れている。 人工物は、 ①自然の模倣 ②自然を切り取ったもの ③その人の内なる自然を表現したもの のどれかに当てはまると思う。 ③は芸術(絵、音楽、ダンス等)、オタク文化、その他サービス業等、実態のないものが挙げられるだろう。 ①②は自然を切り取ったものや、自然から採れるものだ。 なのでちょっとした緑地や公園、植栽は多くの場合、完全なる芸術作品に昇華されている(地方の里山かて人口ではあるが、周囲の環境との融合度合いを含めると、都会にある自然は世話が
自分の力が及ばないもの(他者、自然、その他自分に理解できないもの全て)に敬意を持ち、「自分の力が及ぶ・及ばない」の線引きができ、 己の存在の小ささ、弱さを悟り、謙虚であること、 関連して、生かされていることへの感謝の念が自然と生じること、 何からも学ぼうとする姿勢を忘れないこと
抽象的な事象を伝える事は難しい。 抽象的な事象を表現するには、2つの方法があると思う。1つは、事象を細かく細かく紐解いて行き、なんとか言語化する事だ。2つ目は、抽象的なものを抽象的なまま表現する事だ。後者に関しては、絵、音楽、詩などが挙げられるだろう(小説は両者の中間に位置すると思う)。 「言語」は実際、ただの記号でしか無い。 ただ、その言語の持つ成り立ちの歴史や、保有する音、漢字・平仮名の表記の違いなど、日本語は特に、その言語が持つ記号的な意味以上に、含有する意
スポーツ ↔︎ 農業 運動 ↔︎ 有機栽培・自然農 この構図が浮かんで、ものすごくスッキリした。 私は、目立つ事・競う事が好きではなかったという元々の性格の問題もあるが、それにしてもスポーツには昔から、興味が無かった。 一つの動作ばかり極める事に、違和感を感じていたのだ。 実際高校から運動部に入って、よりその違和感に確信が持てた。 実際、スポーツの動きには、本来の人間の動きでは無いものも多い。そうでなくとも、同じ動作をそこまで繰り返し行うという事は、本来無いので
気付いたが、私の「懐かしいもの」の記憶の中に、人間や人工物は残っていないのだ。 思っていたより簡単な話だったのかもしれない。 人間や人工物の覚えが無く(山小屋や山道具、趣味の絵に関する道具ですらも)、やけに鮮明な身体感覚やものの考え方が残っているのだから、その記憶の私は人間ではなかったと考えるのが妥当だろう。 先住民族や、自然に近い暮らしをする人間だったのではないか、とも考えていたが、文化的なものの覚えがない。踊り、歌、道具の扱いどころかそのもの自体、伝承のよう
今日は急に気温が下がり、冬を感じさせる日和だった。 この寒さも懐かしい。 かつての私は服を着ていなかったのだと思う。 着飾るという事、まわりの環境や状況に応じて都度、適切な選択を取る事を、昔から、馴染み無く感じていたからだ。 生まれつき自身に備わったもので、寒さや日照り、風や水、雪などから十分身を守れた。 そしてまわりの全てとの一体感、「自分は全ての一部である」という感覚を持っていたせいか、生まれ持った姿、身の内に備わったもの以上に、どうして必要なものがある