だから私は酒を飲む
バーボンやバカルディのストレートを飲み、喉が焼ける感覚を感じながら、どこか物悲しいロックを聴くのが習慣になってしまった。
私は繊細な方だと思う。
人より過敏に人から受ける刺激や、人以外から受ける刺激を感じ取る能力、言い換えれば才能があるのだと思う。だから人一倍、疲れてしまうのだが、その中で感じ取れたものを反芻したいがために、余計な思考をぬぐい取って、より反芻した感覚を強めてくれる(感じがする)強い酒に頼ってしまうのだ…
もう20数年生きてきたのでわかるが、私のこの繊細さは才能ともいえるし、なかなか、生き辛いと感じさせる原因でもあるのだ。
何か芸術に昇華できたら一番良いのだと思う。この文章も芸術の一つだと言えるかもしれない。
しかしこんな簡単な文章に起こすだけでは勿体無いという気もする。
何度も何度も、反芻せずにはいられない題材であり、心にずっと大事に抱えている”やるせなさ”の根源であるのだから、もっと、積極的に、大胆に、より力の籠った芸術に昇華したいと思う次第ではある…
強い酒を一人飲んで思うのは、とにかく、「あの頃に帰りたい」ということである。
ぼんやりとした感覚でしか思い出すことはできないが、帰りたい、恋しいと思えてならない。
しらふの時は、現実的で具体的な、「あの頃」へ近づく方法を考えることができる。
しかし酒を飲むと、より原始的で率直な感覚で物事を捉えられる気がして、あの頃の、より鮮明な感覚が思い出される感じがする。そしてあの頃への郷愁の念と、自分は今、あの頃には居ないのだという悲しさをも感じられ、どうにも、物悲しい気持ちになってしまうのだ。