家族旅行のススメ。(後編)
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6.宿ミッション。
千畳敷から息子のリクエストで白浜地ビールのお店「ナギサビール」に寄り、宿泊する宿に向かった。
部屋を案内され我々がまず行った事は、母が"おやつ"にと、持ってきたコーヒーゼリーを食すというミッションである。
今食べとかなきゃ、以後、食べるタイミングは絶対無い。
誰もが思っていたと思う。
五人で何かの儀式をするかのように静かに机に向かい、私はクーラーバックからコーヒーゼリーを各々の前に置く。
…。
……。
……………スプーンあらへんがな。
横に座る母に目線を送る。
母はひとこと、
「忘れた。」
と、言った。
皆んな、何も言わず無言で目の前のゼリーをズルズルと貪りすすった。
クラッシュ気味のゼリーだった事に感謝。
7.沈む夕陽に彗星級の感謝を。
宿の前には白良浜。
ちょうど日没の時刻だったので夫と浜へ降りてみた。
子供の頃の夫は家族で何処かに行くイベントといえば従兄弟たちと山でキャンプが定番だったらしい。
なので、家族で観光目的の旅行らしい旅行はあまりした事がなく、今回の旅行は楽しみだったと浜へ行く道中話してくれた。
夫はあまり自分の事を積極的に話すタイプではないので、旅は人の心をこんなにも解放するのかと感心した。
夫は「水平線に沈みゆく夕陽を見るなんて初めてや。」と、笑顔を見せ、
「沈んだ!?いやッ!まだだ!居る居る!うーーん!!沈んだか?!いや!まだ!まだだァーッ!!」
と、古舘伊知郎を彷彿とさせる喋り口調でサンセット実況解説をしていた。
…こんな早口な夫、初めて見た。
こんなにはしゃぐ夫を見れるのは10年に一度あるかどうか。私はちょっとした彗星と遭遇するのと同じくらい貴重な場面にいるのだと思った。これがこの旅で夫が輝いた二つ目。
夫の感情と魂を解放してくれた夕陽に感謝。
8.バイキング事情。
さて。宿での楽しみの一つである食事。
母親世代は座敷でゆっくり懐石を舌鼓…を喜ぶと思いきや「バイキングがいい。」と言う。
みんなで好きな物を取って、あれやこれや言いながら食べるのがいいらしい。宿はバイキングにもかなり力を入れているらしく評判も悪くない。料理の種類も多い。バッチリ。
予約時間にバイキング会場に着くと席を案内され、腹ペコの一同は一斉に料理を取りに散った。
会場はかなり広く、料理のエリアはあちらこちらに点在している。
ウキウキしながら料理のテーブルを一通り周り、席に戻ると既に男性陣は席に着き、私と母待ちだった。
席に着き、母を待つ。
が。母は全然帰ってこない。遅すぎる。
空きっ腹に待てを喰らわされた訓練犬のように待つ4匹…ではなく4人。
弟なんぞ待ち切れず小刻みに揺れている。一番に失格になるタイプの訓練犬である。
暫くして母は「いっぱいあって迷ったワ〜。」と、会場を3周して超厳選された料理を持って呑気に帰って来た。
母が喜んでくれるのは、何より喜ばしいのだが、みんなお腹が減りすぎて顔が訓練犬を通り越して野犬のようになっていた。
胃腸の調子の悪い私も空きっ腹限界。
ようやく料理にありつく。そんな中、向かいに座る夫の皿が目に入った。
彼のバイキング用皿の窪み全てには唐揚げが盛大に盛られており、あとはちっさい小鉢が1つ。
バイキングで何をどうしたら、その絶望的にバランスの悪い野球チームみたいな定食が出来上がるのだろうか。ピッチャー9人、ファースト1人的な。せめて白飯をメンバーに入れてやって欲しい。
しかも、私が取ってきたお刺身を見て、とても羨ましそうな顔をしている。
私は刺身と私のお皿を差し出し「…一緒に食べようか。」と、言ったらば彼の表情は明るくなった。
聴くと、取りに行くのが面倒臭くて半径5m範囲の料理のみ、しかも一番最初に目に入ったやつをチョイスしたとの事だった。
バイキングの概念って何だっけ。
反対に弟は食べるより"バイキングで料理を取る"という行為がめちゃくちゃ楽しかったらしく、盛大に取り過ぎてしまい、食べれ切れない料理ををみんなで手分けして食べるというサブイベントが発生。
弟は胃をさすりながらションボリしていた。
息子はそんなポンコツ大人達を他所にひとり、適量を取り静かに食事を済ませていた。
部屋戻り胃をさする弟にキャベジンを与えた。
こんな事もあろうかと準備をしてきた自分に感謝。
9.そんなことあるのか朝風呂。
風呂に行き、夜はもう疲労困憊。
私達がダウンする中、息子はサウナ目当てに長風呂をキメると言い深夜二度目の大浴場へ。トランプもUNOもボードゲームもお菓子も出番なしで夜は更けた。
盛り上がりのない夜に母は不満そうだったが、私達はアラフィフなのだ。土曜なんて基本日々の疲労で動けない曜日なのだ。
すまぬが早目に寝させていただいた。
なんだかんだと母が一番元気。すげぇや。
朝6時前に起床。
弟と「朝風呂にいかねば!」と息巻き朝風呂へGO!
私がゴキゲンで部屋に戻ると、先に戻っていた弟は布団の上で無表情で寝転がっていた。何ならちょっと不貞腐れている感もある。
「…ご機嫌で朝風呂に行ったのに。ナンデそんなにやるせない顔してんのよ。」
思わずそんな言葉を掛けると、弟は天井を見つめながらポツリポツリと
「…………脱衣所で…知らんオッサンの…パンツ履いてもうた………。」
そんなことある?!!?
脱衣所は鍵付きではなく昔ながらの棚の中にカゴタイプだ。女湯も同じ。弟は隣の人のカゴを取り違えたらしい。
確かに廊下ですれ違う宿泊客はほぼ浴衣を着ている。脅威の浴衣率である。
カゴの中をパッと見ただけでは、自分のものか他所様のものか、判別できないのも分からなくも無い。
しかし、ひとつ大きな疑問がある。
「パンツで違うって分かるやろうさ!」
「……それが、僕とおんなじパンツやってん…。きっとユニ◯ロ…。」
力なく答える弟。そしてなんたる偶然。
「あ!でもアンタ、スポーツ用のショートパンツ履いてるやん!」
そうなのだ。弟は浴衣の下にショートパンツを履いていたのだ。ハーフパンツ&浴衣なんてスタイル中々無かろう。
「…それが…ショートパンツが無いのにはすぐ気づいたんやけど、"あ〜!盗られたわ〜!"と思ったねん…。」
「なんでやねん。」
ワタシは今年始まって一番の「なんでやねん。」を繰り出した。
何故その発想になったし。
誰が一歩間違えたらプロレスラー体型48歳オッサンのハーフパンツを盗むほどに欲しいのか。
「僕、なんでそんな事思ったんやろ…。」
知らんがな。
……ねぇ。今回、私は誰に感謝すればいい?
10.浜焼き奉行。
宿をチェックアウトし、三段壁に行く。
母は若い頃、社内旅行で来たことがあるそうだが、約60年前の記憶との思い違いに「こんなところだっけ。」を連発し、歴史好きの弟は熊野水軍の船の隠し場所という歴史ロマンに感動。夫は岸壁の隙間で魚釣りをする地元民(?)のたくましさに慄き、息子はサクラ猫(地域猫)数匹に構われニヤついていた。
その後、お昼とお土産を兼ねて西日本最大級の海鮮市場と名高い"とれとれ市場"に向かう。お昼は弟たっての希望で"浜焼きバーベキュー"だ。
ほんの二週間前に弟は九州へ社員旅行に行っており、その時食べた牡蠣の浜焼きが最高に楽しかったらしいのだ。
いざ席に着き、ソーセージやホタテや牡蠣、サザエを焼く。弟はここぞとばかりに「浜焼きなら任せて!!」と、浜焼き奉行と化した。
弟は今か今かとトングを持ちつつ中腰になり、バーベキュー網に被さらんばかりに構えている。しばらくするとホタテはパカンと開き、牡蠣はグツグツとし出した。
弟はその瞬間「今や!!」と叫んだかと思うと「さあ!姉ちゃん!義兄さん!身をひっくり返して!!」と、我々に指示を出し意気揚々と自らもクリンクリンとホタテや牡蠣の身を殻の上でひっくり返し始めた。
我が弟ながらいつもに増して動きがうるさい。
しかし、奉行には逆らえない。言われるがままに従う私達。
残る貝類はサザエなのだが、網の端だからか中々焼き上がらない。その間にも肉やイカなどをどんどん網に乗せ、弟はフランクフルトを頬張りながら中腰で網の上の食材を次々に私たちの皿に次々に分配する。
弟、落ち着け、座われ。
そうこうしているうちに、私の目の前に鎮座するサザエ達が少しフツフツしだしたので私はサザエの蓋の端っこを串でぐっと押してみるのだが、上手く身が取り出せない。
"まだ火が通って無いのかなぁ。"と、サザエを網に戻した。
そんな私の行動を弟は見ていたようで、これをみよがしに「ショウガナイナァ。」と、のび太にラジコンを見せ付けるスネ夫のようにひとつサザエを取り、見事な串捌きでサザエの身を取り出し私に見せた。
そして上目遣いでアメリカンアニメのように目をパチパチさせた。むかつく。
そして、ドヤ顔でパクッと口に頬張った瞬間、
「生ぁァ!!!!!」
と、叫んで口の中のサザエを吐きだした。
あまりの瞬発力のある一瞬の出来事に夫はコーラを噴き出し、息子は目を見開き、母は「あ〜生はあかんでぇ〜。」と、のんきに言った。
ここは地獄か。
吐き出したサザエは再び殻に収められ、再び火炙りにした後、弟が責任を持って食した。
弟は「生あァ!!!!!」の以降は大人しく着席していた。きっと心が折れたのだろう。
サザエに感謝。
11.行きはよいよい 帰りは怖い。
帰り道、とれとれ市場(白浜)から高速を使い3時間ほどで帰宅予定。17:00には着くつもりで出発した。
悩んだ割に結局メジャーなプランになってしまったが、皆帰りの車で「楽しかった。」と口々に言った。全ての演目が終わったような安堵に包まれる。
ただ「楽しかった。」なんて言っているうちは良かったのだ。
家に着くまでが遠足です。
あの名言を身を以って知る事が起こる。
帰り道のルートで2ヶ所事故が起こり、1ヶ所は5台を巻き込む大事故。
結局、帰宅するまで6時間掛かったのだ。
道中、弟と殺伐とした"なぞなぞ合戦"を繰り広げたりと時間を有効(?)に使い、家に着いたのは忘れもしない19時42分。
レンタカーの返却時間が20時まで。
渋滞に巻き込まれる中、返却時間にはもう合わないと覚悟していたので「延滞料金くらい払うから焦らず帰ろう。」と運転する息子に声を掛けていたのだが、微妙な時間に我が家に到着。
延滞になるのは別にいいのだが、可能なら返却したい。
そんな空気を全員が察知した。
到着した瞬間、男性陣が車から飛び降り一斉にバケツリレーの如く我が家の駐車場に荷物を下ろし、母は荷物をまとめながら玄関に運び、私は下ろし忘れが無いかチェックし、私の「延滞払うから安全優先で!」の掛け声と車の扉を閉めた音を合図に、息子は車を出発させた。
そして、夫が息子を連れ帰る為に自家用車でその後ろを追った。
誰が指示したわけでも無い、家族一丸となった華麗なチームプレイである。
しばらくして息子と夫が帰宅し、息子は「セーフや。お店着いたの19時58分やったわ。」と、返却時間が表記されたレシートを見せた。
そしてその後ろで「俺は19時59分やった!!!」と、夫が非常に嬉しそうに意気揚々と言った。(タイムラップは自分の車で確認)
これがこの旅、彼の輝いた最後の瞬間、三つ目。
夫、輝いているところすまないが、アナタのタイムトライアルはどうでもいいです。
***
みんなが揃い、最後に旅の発案者の弟が少し照れくさそうに「また頑張って、みんなで旅行に行こうなぁ。」と、言った。
弟の言う"頑張って"の前に付くのは"生活も、身体も、気を付けて元気で過ごして。"の言葉だろう。
一番伝えたいのはきっと母。
良いこと言うやん、弟。
私は「そうやね。」と、言いながら目頭が少し熱くなった。
しかし、母には弟のその感動的なセリフの意味が全く通じなかったようで「お母さん、こうやって皆んなで旅行にも行けてもう人生思い残す事はない。」
と、言い出した。
母。なぜ、死に向かおうとするのか。
弟は眉を八の字にし、なんともいえない表情で
「…チャウネン。…僕は"またみんなで旅行に行くために仕事も生活も頑張って元気な身体を心掛けていこうね。"って、いうてるネン……。」
と、決め台詞を改めて自ら解説するという大変恥ずかしい人になっていた。
息子はその様子にほくそ笑み、夫は苦笑いしていた。
私は弟のその哀れすぎる姿に、今度こそは"また"が"落ちついたら"にならないようにしようと誓った。
こうして怒涛の一泊二日の南紀白浜旅行は幕を閉じた。
みんながいることに感謝!
あと、この旅で分かった事がひとつ。
宿や車等の手配を完璧にこなし、ポンコツ大人達の空気に飲まれず、自分のペースで楽しんだ最年少の息子がこの5人の中で一番大人である。