人間らしくあるために~スマホ脳~
本日は読書会2連発。
午前中に「スマホ脳」の読書会に参加させていただきました
コチラの本は大変有名ですね。
私はこの読書会で初読みでしたが、ご存じの方は多いと思います
スマホが悪いっていうんでしょう・・・
昔は本が悪い、漫画が悪い、ゲームが悪い、アニメも毒、テレビもだめ
薬にするか毒にするかは人間次第じゃ~ん
と昔から思っている私
あんまり偏った考え方を押し付けられるのは好きではない・・・
そんな風に最初から構えて本を開きました
そもそも、読書会がなければ手に取ろうとは思いませんでした
読後、結果どう思ったかというと
やはりあまり自分は好きではありませんでした
納得しきれない感じでしょうか
「不安」が良くないよと言いながら
不安を煽る内容の数々・・
でも、大きなテーマとしては
私は要するに
人間らしく生きようよ、ということだと思いました
それは良いと思います(^^♪
私はこの本を読んで
人間の3大欲求
「睡眠欲」「食欲」「性欲」をしっかり満たすことが大切なのだと
メッセージを感じました。
この欲をしっかりと求められるような健康状態、面倒くさがらず丁寧にやることができる環境、これが大切なのではないかな
例えば、睡眠欲
私は1日8時間が一番自分としてはうまくいく睡眠時間
この8時間を確保するためには
やりたいことをだらだらとしていては確保できません
もちろんスマホをいじくっていたら無理です
8時間を確保するために、自分の16時間の見直しをする必要があります
そして、ただ8時間ではなく
質も大事です
質を確保するためにどうしたらいいのか
これは本の中にも詳しく書いてありましたね
スマホだけではなく、
お風呂に入る時間、夕ご飯の時間や量や質。
休みたいと思えるくらい体も程よく疲れているか(運動大事)
誰と寝るのか、どこで寝るのか、
布団の質(掛物は重いほうがいいらしい)
睡眠のためにもやることはたくさんありそうです。
ますますスマホを触っている場合ではありませんw
食欲
まず、私は1日2~3食食べますが
ちゃんとおなかが空いてから食べられるようにしたい(運動大事)
誰と、どこで、なにを食べるのか
食べ物だけではなく、その時間を大事にできているのか
(すでにスマホの出番がない)
季節を味わっているか
食べ物と対話しているか、食べ物を作ってくれた人、料理してくれた人に感謝する余裕が持てているか
それらすべてを面倒と思わない余裕をもって、食べたいと求めているのか
性欲
性欲に関しては人によって違うとは思いますが
この性欲は日本はなかなかおおっぴらに語れないところがありますが
昔とちがって特に性に関しては簡単になってきたと思います
本や画像、映像がデータ社会になって安易に手に入るようになり
人を介さずとも、それがどんなものであるか、わかるようになってしまった
パソコンでもそうでしたが
スマホになり、さらに個人で完結してしまう
誰に知られることなく完結し、満足していくことは
人肌いらずになりましたよね
すべての欲に人との関わりでの運動が本来ありました。
それが、なくなってしまった。
運動は人間においてとても大事なもので
今は、運動をするために運動していますが
本当は生活と運動が紐づいて、そこに人との対話があるはずだと思います
それを、別に今だってできるはずだと思うんですよね
スマホがだめ、というのではなく
だめだめいうのではなく
大事なことをするため、その時間を確保するために動いていれば
スマホを触る時間はおのずと減ると思うんですよね
この本が伝えたいことは
時代が変わり、人間の生活も変化してきたけど
本来大切にしないといけないことができなくなってきたために
病んでいるぞ、ということなんだと思います
その原因の一つがスマホだと言いたいのだと思いますが
コーチングを習っている私としては
原因より目的ですよね、と・・・。(≧▽≦)
スマホはドラッグのようだというのもうなずけます
確かにそうですよね
スマホ中毒といいますものね
中毒にさせるものはなんだろう
承認欲求?いいねがほしいとか?
情報がほしい? 取り残されたくない?
私はスマホを平気でどこかに置いて忘れるタイプなので
依存している方の気持ちはあまりわかりません
でも依存が強くなるほど孤立する、という意見をきいて
納得します
孤立を感じるほど中毒にはまるというのは
スマホに限りません
これは自分一人の力ではどうにもなりませんから
環境が大事ですよね
環境から変える、他に健全なはまるもの(ってなんだろう)をみつける
そもそも依存にいかないように予防する(親の務め?)
ホワイト社会と言われる現代
言いたいことを面と向かって言わない
感情トラブルを避ける傾向にあります
だからこそ、リアルではないスマホの中で
感情トラブルを眺めるのでしょうか
退職代行とか流行るのはこの傾向の流れと感じます
物事のはじまりから終わり
(3大欲求にまつわるものも含め)
それらをスマホで情報として手に入れられる時代
だからこそ、眺めてそこで終わってしまう
(動かない)
あかん
ここで語られる不安と反対になるものは希望な気がします
私(昭和)のような人間は、幼少期から次々と新しいものが生まれてくる希望溢れる時代でした。
ハンバーガーを初めて食べた時、ディズニーランドが開園した時、新幹線が開通した時、ポケベル、携帯電話、ビデオからDVD、カセットからMD、CD
コンタクトレンズ・・
考えたらキリがないです
新しいもの、知らない世界、ワクワク希望世代です
今は、すでにそれらがそろって、スマホによってほぼすべてが明らかにされた世界
自分が行けそうもない土地、なんなら宇宙も検索できちゃう。
自分がなれそうもないお金持ちの生活、貧乏の生活、自分の位置がわかってしまう。
しかも、これは操作された見せてもいいよの世界なんですけどね。
でも、それでもこれだけ情報過多になってしまうと、ワクワクはしないですよね。なんなら絶望、旅に出たい、知りたいという現実世界での動きたいという欲(ワクワク)は発動しないのも納得です
つまり、希望が、意欲が、吸い取られている気持ちになります
でも、本当はね、スマホの世界ではわからないんですよね。
現実で実際に自分の足で行って
空気吸って、空気感じて、聞こえるもの、香るもの、その時にしかいない
人や動植物との出会いがかけがえのないことを知ってほしい
わかってるとか思わずに、実際に動いてほしい
めんどうくさがらずに。
それが、この本の本質なのではないかと思いました
その目的にはスマホはいい武器になる
動くための予習やきっかけづくりをスマホでして
本番は自分でやってみる
もっともっとスマホにできることはある
そして10年後、さらに形は変わっているのだろう
目的を忘れなければ
武器が変わっても平気
本質はかわらないから
人間らしくあるために自分の武器にふりまわされずにいたいものです