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圧倒的な小説──デリーロとパワーズ(前編)
僕は基本的に面白いから本を読んでいる。読んでみて面白かったからさらに別の本を読むのだ。何かのためになるからという読み方はあまり好きではない。
いろんな本が読みたくなる。主に小説だが、評論や、時には数学書なども読んだりもする。面白い本、知的好奇心を満たしてくれる本、胸に突き刺さる本…。
そんな中で、重い本が読みたくなることがある。そんなときは大江健三郎だ(もう長らく読んでいないが)。そして、「重い」と言うのとはちょっとニュアンスが違って、「圧倒的な」本を読みたくなることもある。そんなときに打ってつけなのがドン・デリーロ(1936年生まれ)でありリチャード・パワーズ(1957年生まれ)である。
「圧倒的な」というのは却々難しい。構成が良くても文章が巧くないと圧倒的な出来にはならないし、構成と文章が良くてもテーマが軽かったりすると、やはり「圧倒的」という印象は残せない。
デリーロとパワーズは圧倒的としか言いようのない作家である。現代の日本ではこの手の作家を知らない(もちろん僕が知らないだけのことであって、決して日本文学を断罪しているつもりはない)。
ドン・デリーロ
『アンダーワールド』(1997) は僕が初めて読んだデリーロだが、ほんとによく読んだものだと思う。上下巻それぞれ600ページずつもあるのだ。テーマはアメリカ、あるいは世界である。これだけ膨大なものはまず書けない。根気さえあれば書けると言うものではない。構想の力というものを見せつけられる作品である。
読んでいるうちに、いや冒頭からすでに訳が解らなくなる。登場人物が次々と入れ替わる。読み進めば進むほど新しい人物が登場してきて、誰が主人公なのか掴めない。
何度も何度も読み返しながら、苦難に苦難を重ねて読み続けて行くと、最後まで読み終わったときに圧倒的な感慨が得られるのである。圧倒的な「感動」であるとは限らないが、圧倒的な感慨であり、感嘆であるのは確かである。
この小説は1951年10月3日、NY のポログラウンド球場でのプレーオフ第3戦の場面から始まる。この試合でジャイアンツがボビー・トムソンのサヨナラ本塁打でドジャースに勝って優勝を決める。
そしてスタンドではこの模様を FBI長官のフーヴァーが俳優のフランク・シナトラらと観戦している。そのフーヴァーに試合中報告が入る──この日、ソ連が初めて核実験に成功したのである。これがこの小説の冒頭であり、しかも史実に基づいているのである。
そのあと山のように多くの登場人物(レニー・ブルースのような実在の人物を含む)とエピソードが重ねられて行く。そこにあるのは一見バラバラの混沌であるが、読後感として得られるのはそれらが「どこかで全て繋がっている」という感触であって、それがこの物語全体を貫いている。
その後『ボディ・アーティスト』、『コズモポリス』 と発表順に読んだ。
『ボディ・アーティスト』(2001)はもう少し日常的な小説だ。だが、これも不思議に尾を引く。すごくゆっくりとした時間の流れの中で、静かに波紋が広がって行くような書きっぷりである。
そして、『コズモポリス』(2003)──これまた圧倒的である。今回のテーマは身体性である。やはり読むのに難渋する。読み終わったときの消耗度が激しい。しかし、その消耗と引き換えに手にする感慨も非常に大きいのである。
その次に読んだ『マオ2』(1991) は『アンダーワールド』の1つ前の作品だ。デリーロの作品の中ではずば抜けて読みやすい小説だが、この作品も『アンダーワールド』同様、途轍もなく深い。
時は1989年。小説はヤンキー・スタジアムでの統一教会の合同結婚式で幕を開ける。そしてそこから話は縦横無尽に展開し、同年に起こった天安門事件やホメイニ師の死、レバノンの内戦、テロの激化など様々な要素が小説内に投げ込まれて、デリーロ特有の混沌としながら啓示に満ちた世界が示される。
この本のテーマは「群集」だと思う。
その次に読んだのは『コズモポリス』の次に書かれた『堕ちてゆく男』(2007)。
これを読めばアメリカ人にとって 9.11同時多発テロがどれほどとんでもないものであったかが分かる。いや、これを読んでも日本人には解らない、少なくともアメリカ人と同じ感情を共有することはできない、ということが解るのかもしれない。
WTC で働いていて九死に一生を得たキースと、破局寸前だった妻・リアンを描いた物語だが、メロドラマではないし、それどころかドラマでさえない。むしろドラマにならない苦々しさを延々と描いている感がある。
ボランティアで認知症の老人の世話をしながら、彼らがあの日何をしていたかを聞いているリアン。夫婦破局の元凶であったはずのギャンブルの世界に戻って行くキース。
リアンの母ニナとその恋人であり元ドイツ過激派であったマーティン。ビン・ラディンをビル・ロートンと憶え間違ったまま次の飛行機が飛んでくるのを監視しているジャスティンとその友だち。そして、WTC から落ちる男の真似のパフォーマンスをする男。さらに、9.11の実行犯であるアラブ人。
これらの話がぐちゃぐちゃに絡まってくる。
ほかに『天使エスメラルダ 9つの物語』(2011)という短編集もあって、これはこれでとても面白いのだがが、どうせデリーロを読むのであれば是非ともしんどい目をして難渋な長編を読んでほしいと僕は思う。
その後に書かれて、日本で翻訳が出ている長編2作、『ポイント・オメガ』(2010)と『沈黙』 (2020) はまだ読めていない。
長くなってきたので一旦ここで切ろうと思う。
(後編のリチャード・パワーズはこちら)
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