絵や写真の前景と背景を取り違える癖が幼少期からある。エッシャーのだまし絵のようなら美しいが、僕の場合、前景中央に視線が行かず、奥や端にいる小さな人や物を見入ってしまうだけだ。 中学生のとき、話したこともない女子が写った修学旅行の写真(清水寺だったか)を買って友達に冷やかされたことがある。買った理由は奥の方でメキシコ人っぽい男性がこっちをにらんでいたからだ。 30年以上前、テネシー・ウィリアムズ原作の『欲望という名の電車』を初めて見た時も、主演のビビアン・リーやマーロン
「ナンシー関が生きていたら、何て言うだろう」といつも本当に考えている。18年前、彼女は唐突にいなくなった。それ以来、日本文化には誰も埋められない巨大な穴があいたままだ。 テレビ・芸能を中心とした彼女の批評(リアルな消しゴム版画が添えられていた)は、辛辣さとユーモア、精緻な観察眼と独自の論理が同居する芸術だった。巨体を縮めて恥ずかしそうにささやく実像とのギャップもほほ笑ましかった。 僕らは、ビートたけしの「誰も疑わないものをあえて疑う」姿に憧れた世代だ。たけしの影響を公言し
ふとしたことからここ数年、日本文学を熊が水飲むかの如く読みあさった。素通りしていた古典から毎年の文学賞まで順序無視の乱読に頭の中は履物が散乱した銭湯の玄関みたいになったが、実に愉快だった。 で、戌井昭人(いぬい・あきと)が好きになった。『すっぽん心中』を皮切りに、『ひっ』『どろにやいと』『ぴんぞろ』。ひたすら爆笑、ただただ感服、いずれも芥川賞候補と知り膝を打ち、デビュー作の『まずいスープ』に戻り、『ゼンマイ』は雑誌発表時にチェックした。 何よりもリズムが合うのである。音楽
大分合同新聞からコラムの連載を依頼されたのは2020年の2月末だった。夕刊の廃止に伴い、折り込みの形で朝刊にくっついてくる「GXプレス」なるものが新設され、そこにコラム欄ができるとのこと。詳しく伺うと、コラムのテーマは「ビジネス」で、県内各大学の教員が月一の持ち回りで担当し、「県内のビジネスマンに役に立つ情報を提供するのがねらい」との説明だった。 「別府大学の中で俺が一番不適格やん」と心の中で爆笑したが、生来のひねくれ者の僕は「やります」と即答した。「アメリカ小説紹介」み