論理的処理反応の獲得を次善の策と見なしたり、既存の論理をどう位置づけるべきかといった話
2020-2-003
日本人と論理的思考の関係に関するスレへの投稿内容:
表層的要素に振り回されてる状態への処方として、論理的処理反応の獲得も確かに有効でしょうが、
例えば、真実と嘘の関係を、場に合わせた加工を受ける前後関係と見た上で、
加工自体は常にあり、場の本質に合わせた加工のみ肯定する(過大過小の否定)と捉え直す、
その種の枠組み(いらぬ飛躍の除去を、場の本質に即した扱われ方と結び付ける)の獲得が本筋と思います。
似た構造として、日本否定欧米肯定は、場の表層に合わせる相対性の弊害を場に合わさない絶対性の弊害に、
差し替える話になりがちなので、場の本質にのみ合わせる方向への誘導を、日本改善の本筋とすべきです。
(本筋でないものも場の本質に当たる、局面上の要請に即してる限りにおいて次善の策扱い。)
また、既存の論理は少なくとも古代以来や近代由来の次の三点の誤解からのバイアスを帯びてると疑います。
プラトンアリストテレスが主語述語関係の論点を、主語の切り出し局面や述語化局面での、
場に合わせた加工の前後の関係正常化(抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究)としなかった。
干渉要因を引きはがす解決センス
(対象の本来の有り様が内外分離により立ち上がる、というロジックと結び付いたいらぬ飛躍の除去)が、
個人の判断や国家の権威や科学の在り方への明晰化による成果を上げた結果、
同種の他との差異要素(内実の差異)の捨象(理系的捨象)が相対化されない、
つまり、局面上(場の性質上)要請される事もある処理に過ぎないとの扱いを受けない事態を齎した。
理想と現実の分離への指摘に対しプラトン自身も以降も(主語述語関係同様、カントは近代版と言える形)、
分離を抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究の結果のそれに持ってく方向へと向かわず、
当然、歴史性を抽象と具体の行き来と捉えた上で、
具体形の変化具合によらず、その最大限追究から歴史性が成ってるかどうかで肯定否定する事もない為に、
静から動へといった誤った問題意識が現代でも見られる上、
静性や不変性、普遍性や絶対性への近代性(上のロジック)によるバイアス強化も重なってる。
なので、上の枠組みにおける結び付き(通用領域の広さである確からしさの向上させ方)の中身に当たる、
抽象化と具体化条件割り出しでの差異形パターンの網羅志向(抽象と具体のより確からしい関係構造構築)、
問われるべき事(場の本質)と捨象の対象選択との合致配慮(次元設定自在性としての人間性のフェア化)、
相補的なそれらで機能不全を解消した、
場の本質を損なわないように形式や帰結を組み上げる管理能力や、
仮説と実証の関係なり同一性と表層変化の関係での、抽象と具体を行き来させる処理能力により、
規定される対象の有り様から、
乖離してるしてないでもって、例えば主体を否定肯定する在り方が一般に要請される。
(場の本質に即した扱いへの支持としてのフェアをもって、愛や許しを、報いや権利を律する社会に必要。)
その肯定された主体(内在や外在を代替不可能な性質に限って引き受ける主体)が、
資質や環境を引き受けた結果の特化先の一つとして、非常に有用な分野である既存の論理がある。
そう捉えるのが良いのではないかと考えます。