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論理的とか平等的であると言い張っていても、内容としては真逆であるケースが、既存の教育の弊害である件について

2022-9-008

同種の他との共通要素の捨象に十分さらされた個性の下に振る舞うAさんと、さらされてない個性の下に振る舞うBさん、
単に人数を数えるだけなら、そこの差異(例えば、その人が自身の感情を根拠にする際、内面世界で割り振り原理になってるものを十分さらしているかどうかなど)は捨象されるわけですが、


(競走の順位付けにおけるフェアアンフェア問題、つまり、場で問われてる差異要素と場の疑似でない固有性との一致不一致問題が、感情選抜や意見選抜にも重ねられるように、)

その種の差異(上のケースも、個性を時間的に見れば、具体化抽象化の交互反復の産物なので、
内在の性質と外在の性質が合わさって現象になると解した時の、両性質の代替不可能化の程度の差異と捉え直せる)に扱い差をつけないと、

いらぬ飛躍が有るものを、無いものと同じ扱いするよう強いてる事態、ひいては、悪貨が良貨を駆逐する的な状況
(負わされるに値しないものを負わされる事態が支配的な世界に自他が置かれてる像)に可能性を開いてる形になる局面もあるわけです。


また、内実不問(例えば、フェアを越えてる救済と越えてない救済が区別されない、できるできないへの反応が内在事情外在事情の代替不可能な要素にのみ応じた結果かどうかを論点としてない)は、

内実が確からしい(内外境界意味する有限の与件性、より確からしいものが取って代わる運動性、これらに帰属してる現象と言える為に、帰属の修正余地がない)なら、
その反映である表層形はどんなものも肯定される(具体的扱いは場から受ける整合による)世界でなく、

表層形のみで断罪される差別的世界(もちろん、表層形だけが問題になってる局面での内実不問は、内実の確からしい表層形であり、
局面と着目無視との一致を内容とする自由平等に含まれる)と繋がってもいるわけですから、
上の局面での内実不問的な処理を論理的とか、平等的であると言い張ってるなら、真逆の主張をしてる形であるように思われます。



そして、既存の教育では、文系事象に対しその処理が為される事に疑問を持たない認識枠組みのインストールが、無自覚に達成されてしまう為、

そこをケア(文系知性や倫理性の形骸化をケア)してない類の教育論(知性や倫理を帰属の修正余地潰しと繋ぎ切れてないせいで、負わされるに値しないものを着せ替えて押し付ける内容になってる教育理念)は、


文系的論理性や平等性にとって有害なものと見なせますから、インストールしたまま
(文系的な具体化抽象化の精度が論点にならないし、それを駆使しない限り精度が上がらない冒頭の捨象能力を育てないまま)文系の知的上層となり、疑問が持たれない状況を再生産してる人達と共に、


糾弾対象と位置づけ、各々の条件上可能な範囲で(できれば、内在事情外在事情の下での上限をもって)、
修正(例えば、フェア志向と客観視への、着目無視設定に関する同列扱いや文理両輪扱い)を働きかけ、

内実に確からしさを持たせる事のできた判断選抜の集積な世界と現有り様とのズレの縮減に対し、最善を尽くしたと言える状態に自身を持ってきましょう。



(人類は理系的な判断選抜については近代以降、内実の確からしさを獲得してるけれども、文系的な判断選抜については未だ獲得してない、この点をそこのズレの原因、


例えば、不十分な対象理解の下での批判は冤罪的側面を持ってしまうし、
先の主体像の下でのできないや失敗は、帰属の修正余地がないものとして受容に値するにもかかわらず、
擁護や批判に、さらに言うと、自身の経験も権威発も含む情報との接触や自己判断に、先の主体像への志向を先立たせてない有り様が修正対象になってない、

当然その観点からの、つまり、絶対主義や相対主義によるいらぬ飛躍保存のスルーを阻止するのに必要な、条件上の最善からの距離という観点からの、
対テキストや対歴史を含む、自他評価を持たない状態が野放しになってる、

例えば、理系的処理の領域侵犯である不当合理を否定してるだけなので、不当合理を過剰特殊に、
つまり、冒頭の捨象処理を経てない固有性の尊重に、差し替えるだけでしかない類の試みで満足し、

いらぬ飛躍保全活動を着せ替えただけでしかなく、帰属修正余地のなさとしての受容条件への疑似化に用いられた知性や倫理の産物と言えるそれを、権威付して発信しさえするなど、


世界の有り様からいらぬ飛躍を取り除き切れない形でしか知性や倫理を、人類が持ててない原因と位置づけ、
次の理解の下に文系域の、ひいては、対人の再構築を目指すべきでないかと考えます。


個別性を特定できない事態が、つまり、匿名性や代替可能性や開放性等の自由側面、個別性に閉じた次元という不自由側面が、
同種の他との差異要素の捨象によって成り立ってると解するとして、

文系的局面では逆である為、もちろん理系的局面を内包する時もあるとはいえ、文系的自由不自由を、同種の他との共通要素の捨象をもって成り立たせる必要がある。)

ご支援の程よろしくお願い致します。