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【掌編小説】Bird Strike

ープロローグー

 九月一日。晴れ。
村瀬祐樹はぎゅっとハンドルを握りしめた。

 夏が終わろうとしている。
高校三年生の夏に、値段をつけるとしたら、いくらの値がつくのだろう。夏特有の広くまじりけのない空に、雲が駆けている。遠くには海が見えた。白い鳥が、村瀬の横をゆうゆうと横切った。気持ちよさそうに飛んでいる。一瞬鳥と目が合った気がする。

「おまえに飛べるのか」

言われた気がした。鳥の名前は知らない。

悔いはない。これで僕の夏は終わる。それまで強く吹いていた風が止んだ。

 今がその時だ。
前方にある、自作の踏切り板をめがけて、ペダルを漕ぐ。全速力で加速した自転車は、三十階建てのタワーマンションの屋上から、勢い良く飛び立った。

数秒後、村瀬の頭は、西瓜みたいに飛び散った。



 午前二時、ビルの屋上で、蛍のようにあちこちに赤いランプが灯っている。
 二宮燈子は、まだ生温かい夜風に吹かれながら、フェンスを越えて二十階建てのビルの下を覗き込んだ。ひゅっ、風を切る音がする。
 ここから飛び降りれば、わたしと世界は終わる。
不思議と怖さは感じなかった。ただ、背中のあたりがひりひりと痛むだけだった。夏服の袖が、ひらひらとたなびいている。燈子は夢の続きのような、心地よいけれど自分の意志ではもう止められない感覚を、ぼうっとした頭で感じていた。
 屋上のへりから、ふと向かい側のビルの電子掲示板に目をやると、カラスが三羽、ライトアップされた菓子の広告の上に等間隔で停まっていた。真ん中のカラスの目が、―LEDの反射だろうかー一瞬、エメラルドのように妖しく緑色に輝いた。


 九月一日は、一年で最も十代の自殺が多い日だという。
日本における年間の自殺者数は年間約二万一千人と公表されているが、遺書がないものは変死と区分され、実際には少なく見積もっても年間約十万人以上の死者がいるとされている。自殺者全体における十代の割合は三パーセント、自殺者数は六百人程度だが、日別に区切ると、九月一日に命を落とす若者が最も多いことがわかる。多くの学生にとって、夏休みが終わり二学期が始まる始業式の日。


「もしかしたら、自分は変われるのではないか」
「わたしを思い悩ませていた原因は、ひょっとしたら消えているんじゃないか」
 クリーニングから帰ってきた制服に袖を通し、早足で学校に向かう。
その淡い期待を、一瞬で打ち砕かれた若者が、毎年、命を落としている。
高二の一学期の途中から不登校になった燈子は、今日学校に戻って何も状況が変わらなかったら、その日のうちに死のうと前々から決めていた。


 死ぬことに、明確な理由などいるのだろうか。
きっかけは思い出せない。高校の中で、他の人たちが次第に居場所を見つけていく中で、自分ひとりだけが置いてけぼりになっている気がした。周りの同級生と仲が悪いわけではなく、人並み程度の付き合いはあったが、どこか一歩引いて、冷めている自分がいた。親や先生は将来のことを考えようとさせるけど、自分をこれから待っている未来に対して、明るい展望がどうしても描けなかった。そんなことばかり考えていたら、学校に行けなくなった。
幸いにも、燈子はまだ何者でもなかった。
 夏休みの間、燈子は親の勧めで不登校児の就学・復学支援を行っている団体の夏季ワークショップに、週二回ほど参加していた。元々は高校教諭だった代表の烏丸という男が、不登校児の社会との接点をつくるためにNPO法人を立ち上げ、首都圏を中心に活動している団体で、燈子が参加していた中野支部以外でも、行き場をなくした多くの子供たちが参加していた。ワークショップの授業そのものは退屈きわまりなく、すぐに退会しようとしたが、講師やスタッフの親身さに触れ、燈子も少しずつ心を開いていった。

「みなさんは変わることができます」
八月下旬のワークショップの最終回、講習の最後に、代表の烏丸はこう締めくくった。
「羽を痛めた鳥は、ゆっくり休んで傷を癒し、再び飛び立つことができます。温かい南方に向かうことができます。もがきながら、皆さんもどうか勇気を出して飛んでみてください。ふと上空から下を見たとき、自分が悩んでいたことが何だったのか、わかるはずです。よい二学期を迎えられますように」


 ああ、やっぱりどこにも行けやしないじゃないか。
わたしの手で、わたし自身をリセットしてしまおう。
吸って、吐いて、吸って、吐いて。いっせーのーせで飛び降りようとしたとき、後ろに気配を感じた。
「そこで何をしてる」
突然の男の声に、息が詰まる。

 どう控えめに見ても、ビルの守衛ではない。その男は、見れば見るほど奇妙な格好をしていた。短髪で真っ赤に染めた髪を逆立てて、夏の終わりというのに白いロングコートをTシャツの上に羽織っているが、汗一つかいていない。
 白のデニムに、黄色いナイキのスニーカーを履き、燈子の五メートルほど後方に立っていた。痩身だが筋肉質な体つきで、おそらく背丈は百九十センチを超えているのではないか。年齢は三十歳前後か。鋭い眼光で、燈子を見つめている。  

これじゃまるで、にわとりだ。

「見て分からないですか。今から、ここから飛ぶんです」
燈子はできるだけ感情を込めず言う。止めたって無駄だ。
「あなたに迷惑はかけないから、見なかったことにして、そのまま帰ってくれませんか」
「・・・また、鳥人間か」
 男はぼそぼそと独り言を言っている。ひとりで物思いにふけっているようでもあり、燈子はより警戒を強める。薬でもやっているのだろうか?やばい奴なら、自分の縄張りに足を踏み入れたことに怒っているのかもしれない。
男はくるりと背を向け、一歩ずつ屋上の入り口の方に向かって歩きはじめた。二十メートルほど離れた時、彼は向き直ってつぶやいた。
「俺は、鶏と呼ばれている」
「死にたいなら、俺が今すぐ殺してやる」
 次の瞬間、赤髪の男は突然凄まじい速さで燈子に向かって走り出した。
助走をつけ、飛び上がる。巨大な黄色いスニーカーが目の前に見えた。男は、全体重を乗せて燈子の胴にドロップキックした。
燈子は、空中に投げ出された。


 強烈な蹴りに意識を失う直前、生きたまま火葬される五分前の夢を見た。  
 火葬場。わたしは台に乗せられ、ごうごうと燃える炎の中に入れられようとしていた。体は指一本動かない。周りの人間は見えない。ただ、黒い影のようなものが、私を窯にいれて燃やそうとしている。映画やテレビで見る平面的な炎とは異なり、そこには、肉という肉を焼き尽くす不条理な熱があった。あそこに入れられたら、一瞬で、私の目も、鼻も、口も、ただの頭蓋骨のくぼみに戻ってしまうだろう。火を、目の前の死と直結して考えたのははじめてだった。

わたし、まだ生きてるんだって。死んでないって。
誰か気づいてよ。
必死に叫んでいるのに、真空。声が音にならない。
あれ?ていうか、屋上から飛び降りて死ぬんじゃなかったっけ?
これって死んだあと?  
次に口にした言葉に、自分でも驚いた。
生きたい。生きてたいよ。死にたくない。まだ死にたくない。

生きたまま火葬される直前。わたしは死にたくないと咽び泣いていた。


 「人は、自分が死を迎える間際まで、自分の死を受け止められない」
「分かった振りはできても、死の瞬間まで、自分の生を理解することはできない」
 目が覚めると、燈子は屋上で、例の鶏男に抱えられていた。
うまくものを考えることができないが、どうやらまだ落ちても焼けてもいないらしい。


 あとで知ったことだけど、鶏は対象に触れることで、模擬的に相手の眼前に『死』を見せることができる。だから相手を峰打ち的に「殺す」ことができるし、死に関する催眠を解除することもできるらしい。わたしは後者の方だ。地面に下ろされたあとも、まだ足の震えがおさまらず、すぐに立ち上がることができない。足を左右に折り曲げたまま、その場にへたりこむ。

「君は、烏丸に操られていた」
「明日になれば、多くの若者の自殺が報じられることになる。自分は飛べると信じて、気づいたらビルから飛び降りている。いわゆる集団催眠だ」
この男は、何を言っているのか。烏丸を知っている?
「奴は毎年、わざと九月一日に合わせて全国の自殺者を募り、若い連中の背中を押してやがる。『鳥人間コンテスト』なんて悪趣味な名前までつけやがって」
 鶏は、燈子が理解することなど最初から念頭にないようだ。白いコートの埃をはらうような仕草をし、振り返らずに言った。
「学生。夜に弱さを見せるなよ。身体ごと持っていかれるぞ」



 もう少しで、夜が明けようとしている。東の空から徐々に青白い光を帯びた空が近づいてくる。

これが、わたしと鶏との出会い。


「一番簡単な方法はね、絶望している人に、希望を持たせることだよ」
広告塔の屋上から、カラスが一羽飛び立った。  

(了)





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