【エッセイ】 走る子ども
うちの息子は二人とも、中高でするスポーツは、ただ走るだけの、クロスカントリーを選んだ。上の子は、スポーツをするなら、それしかチョイスがなかったからだ。
小さい時から、私なみの運動神経を見せる上の子を、私は心配しながら見守っていた。それでも、幼稚園からサッカークラブにも入ったし、バスケットボールもしたことがある。どれも、私の目から見ると、もし自分だったら、ごめんごめん、と周りに謝ってばかりいただろうと思うようなさま、または、ザマだった。
彼がサッカー4年目の小学3年生の時、土曜日の練習試合を、ほかの親たちと並んで見ていた。誰の目から見てもスター選手の、抜群の運動神経を見せる子がいた。学校が同じで、うちの子とも仲良しだ。スターの彼がゴールをまた決める。コーチが彼に声をかける。
「回せ。パスパス。3回はパス!」
うちの子のところにボールが来る。なんだ、そのけり方は。さわり方かと思うような、キックにもならない足の動き。
何年もたってから教えてくれたのだが、うちの子も、見ている私と同じように、ボールが自分のところには来ませんようにと願っていたらしい。
隣にすわった、スターの子のお父さんが、「がんばってるね」と言ってくれる。自分の子でも誰でも、ネガティブなことは口にはしたくない。それに、これは子供の遊びのクラブだ。私は慎重に言葉を選んで、自分が恥ずかしく感じていることを微妙に含ませて、返事する。
「うちの子にも、いつか、あの子に合うスポーツが見つかるといいなと思うわ。」
スターのお父さんが笑ってくれる。その隣に、今日はスターのお祖父さんが見に来ていた。声をあげて笑い、私に言う。
「だいじょうぶ。長距離がある。誰でもできるから。」
私は微笑み返し、そうですかとは言ったけど、今うちの子を、他人のこの人がディスったのに、それからずっと気をとられた。
私はマラソンは知っていたが、クロスカントリーと呼ばれる、グラウンドでないところを走る中距離走のスポーツを、よく知らなかった。知ってからも、スポーツと認識するのに時間がかかった。
米国では、このクロスカントリーは、5Kとか10K、または、イベントの名前をつけて、なんとかラン、と呼ばれる大会として、秋に多くある。見聞きしていたのだろうが、子供が走るようになるまでは、気にとめたことがなかった。
どちらの子も、中学からクロスカントリーを始めた。記録会での距離は中学生は3キロなので、そんなに熱心に練習しなくても、走るだけなら走れる。実際、練習熱心な子や、記録を気にする子は少なかった。
が、高校では距離が5キロになり、練習を積んでいないと、まず走りきれない。練習には、色々なタイプの走りのほか、走る前と後の入念なストレッチや、筋力トレーニングが加わった。
上の子は、高校最初の年は、やめたいと思いながら、コーチに言う勇気がなく、続けた。春にはクロスカントリーはないが、陸上の季節になる。コーチや仲間に、当然のように参加すると思われた彼は、断れず、春も走った。
放課後の練習の後、車で迎えに行ってやる時、高校生らが、ストレッチや腕立て伏せや腹筋をしているところを何度も見た。うちの子は、思春期の変化の始まったばかりのぼんやりした体をしていて、たくましくはない。スポーツをする人の体にも、様子にも見えない。
私の子供だから。
すまない気がした。
遺伝が、ね。これは、しかたがない。あんたを見ていると子供の頃の自分を見ている気がするよ、おかあさんは。
腕立て伏せをしている息子の体は、地面すれすれのところまで落ち、背中がまっすぐのまま上がる。それをゆっくり繰り返す。おしりだけ残して上がり下がりしている子もいる。肘の途中まで曲げて、すぐに上がってくる体も見える。もう終わっている子も多い。
あの子は真面目なんだな、これに関しては。
バカ正直という言葉が浮かぶ。
あんたみたいにしてる子は誰もいないのに。
感心はしたが、特に感動はしなかった。
子どもは彼なりにがんばった。高校2年目にも、やめようとずっと思っていたはずのクロスカントリーを続け、休まず練習に出た。記録を争う選手には、もちろん選ばれなかったが、記録会では、前年よりは私をましな気持ちにさせるくらいの走りをみせた。
春になると、また陸上競技のシーズンが始まり、クロスカントリーをする子のほとんどが、中長距離の選手として参加した。うちの子は、記録や対抗試合での主戦力として期待される選手ではないが、毎回、何かの種目にエントリーされた。
コーチの言いつけ通り、毎晩寝る前の長いストレッチを欠かさず、ずっと地面ぎりぎりの腕立て伏せをしている彼は、オフシーズンのトレーニングルームでの筋力運動も、毎日こなしていた。コーチらが、駐車場で会う私に、手を抜かない筋力トレーニングの様子に感心すると、時々言ってくれた。
その春の記録会の一つは、子供らが通う高校のグラウンドであった。
記録会は、見に行かないときもあった。前に、日本の子育てアドバイスのコラムで、「子供の試合を毎回見に行くな」というのがあって、いつも親が顔を出さない方がいいこともあると知った。私は私で忙しいし、いい言い訳でもあった。
春とはいえ、まだ肌寒い日だった。
それぞれのスクールカラーのタンクトップとランニングショーツを身につけた高校生らで、グラウンドは華やぐ。観客席にひとりですわって、私は、グラウンドに自分の子どもの姿を探す。紫と白の縦じまのユニフォーム。後ろに番号がついてあるが、番号を覚えていない。観客席に近いところの競技を見る。100m走、ハードル、リレー、ハードル、200m。競技は次々行われる。
1600m男子の競技が始まるアナウンスがある。うちの子のだ。私は観客席から下りて、競技場を囲むフェンスに立つ。上では見つからないうちの子も、ここに立っていたら走るのが見える。1600mなので、4回は前を通ることになる。
ピストルの音がし、15、6人の男子選手が走り出す。グラウンドの向こう側を走る、ぐじゃぐじゃになっている群れが、だんだんと、先頭グループ、2番目グループと、固まりを作っていく。知っている子が見える。うちの子も。
2番目の先頭につけてるのね。すごいね、あんたにしては。
こっちに向かって走ってくる子ども。4人の固まりのトップにいるので、顔もよく見られるだろう。まだ1周目だからか、誰もが走りにスピードがある。先頭グループが前を過ぎた時、見知った顔に声をかけたが、名前を呼び終わらないうちに、走り抜けていった。
来た。あの子が来た。
ほかのスポーツは選べなかった子どもが。なんでか、クロスカントリーにまだつかっているあんたが。
名前を呼ぼうと思っていた。
声をかけるつもりだった。
でも、その見知ったはずの男の子は、私の知らない体をしていた。筋肉が少しもりあがった上腕。ユニフォームのシャツの上からもわかる、しまった体。そして、お手本のような美しいフォームで動く身体。カモシカのようなと言いたくなる脚。
子どもが近づいたとき、私は気がつくはずだった。でも、気がつかなかった。
見ている私の前を、その知らない男の人が、通り過ぎた。サーっと風を起こして。
通り過ぎた後ろ姿が、また小さくなり、カーブを通り向こう側に行く。
私の子どもだった男の子が、知らない人になっていた。