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「あの人は信頼できるか?」という危険な問い| 『対話型OJT 主体的に動ける部下を育てる知識とスキル』

OJTを題材に、「リモートワーク時代の教え方の新常識」を示してくれている『対話型OJT 主体的に動ける部下を育てる知識とスキル』。


OJTに限らず、「リモートワークでの職場のコミュニケーション」全般に通じる考えが散りばめられています。いまOJT担当をしていない人にとっても有益な一冊だと思います。

本書の主題に着想を得て、OJTという育成のかたちが、組織としての求心力を生んだり、リーダー育成につながるのではないだろうか、ということを書いてきました。

OJTというのはその定義のとおり、現場の「中」での育成です。現場の「外」で行われる、研修という育成のかたちとはその点が大きな違いです。

現場の「中」だからこそ、「実務の傍らで行うので忙しい」「新人に渡すのにちょうどいい仕事がない」「OJT担当も育成に不慣れ」といった、育成するうえでの難しさがたくさんあります。

一方で、現場の「中」だからこそ、うまくやれば、「本人の成長」「OJT担当の成長(リーダー育成)」「エンゲージメント(組織の求心力)」といった多方面に広がる効果が同時的に期待できます

現場の「外」で行われる研修では、このように個人と組織に同時多発的にアプローチすることは難しいです。OJTは、そんな可能性を秘めているのではないだろうかと、本書を通じて感じるようになりました。

今回は一転、リーダー育成という文脈を離れて、育てる側と育てられる側のあいだの信頼関係という側面から、本書の内容を取り上げてみたいと思います。

信頼関係については、以前4回シリーズで書いてみました。もし興味があれば、ぜひ読んでみてください。

(略)信頼関係について書こうと思います。ちなみに、育てられる側(部下)が、育てる側(上司)に対して抱く信頼関係です。人を育てるうえで大切な、育てられる側(部下)が育てる側(上司)に対して抱く信頼関係を、育てる側(上司)がどうやって作っていくか、というお話しです。

「あなたの印象」円グラフを部下に描いてもらう』より

信頼と安心の違い

以前の記事では、「そもそも信頼関係とは何なのか?」を考えるきっかけとして、それぞれ似通った言葉である「信頼」と「信用」を比べてみました。

信用とは「相手への理性的な判断」であり、信頼とは「相手との感情的な結びつき」だと。
信頼関係の創り方、育て方』より

本書では、「信頼」に対置する概念として新しく、「安心」という言葉が紹介されています。

相手を「信頼」するという行動が必要とされるのは、社会的不確実性が大きい時です。
まさに現代のように、この先どうなるのかわからない状態において、相手を信頼することが必要になるのです。

一方、社会的不確実性が小さい時に求められるのは、「安心」です。
たとえば、「相手は、こちらのことをわかっている」「言わなくても伝わるだろう」という状態の時、私たちは相手に 「安心」しているのです。
相手を信頼しているわけではありません。

相手に安心した状態の時、「相手と対話をしよう」とは考えづらいものです。
「相手はわかっているはず」「伝わっているはず」という考えが前提になっているから、そもそも言葉を尽くして対話をしようという発想になりづらいのです。

対話型OJT 主体的に動ける部下を育てる知識とスキル』より

この一節を読んだときに、「職場におけるコミュニケーション」という、少し広すぎるけれど、でも職場における様々な問題の核心に触れているであろう、言い古された言葉が頭に浮かんできました。

私の中で「職場におけるコミュニケーション」という問題は、「職場における対話をいかに生み出すか」という問いに言い換えられることが多いです。ちなみに、私が「対話」という言葉で指しているものは、このようなものです。(自戒も込めて)

といいますのは、もともと対話とは、「違い」を認識するコミュニケーションです。

対話とは、
「わかり合えないかもしれない相手」と「自分」が向き合い、相互の「違い」を表出するコミュニケーションを行うこと
をいいます。

もしかすると「対話した先」には「わかりあえなさ」だけが残るかもしれない。
「わかりあえないこと」を「知る」だけに終わるかもしれない。

しかし、たとえ、そうであっても、相互の違いを認識することが「対話」です。

ロマンチックワード化する「対話」!?』より

この時代の職場で求められるコミュニケーションのかたち

「安心」とはすなわち、コミュニケーションという点においては「無為」に近い。

「無為」が悪というわけではありません。行為としてのコミュニケーションが存在しなくても、「相手は、こちらのことをわかっている」「言わなくても伝わるだろう」というように、心理的にはコミュニケーションの目的は果たされているわけですから、これはこれでひとつのコミュニケーションの姿です。そういう凪のコミュニケーションが成立しうる、「社会的不確実性が小さい」世情は、ひとつの幸せの形です。

一方で、そうではない世情の今、求められているのは、「安心」ではなく、「信頼」に依拠した、「対話」というコミュニケーションの姿。「職場におけるコミュニケーション」という問題が、「職場における対話をいかに生み出すか」という問いに換言される理由がここにあります。

いっときの痛み

「伝わる」「わかり合う」の前には、相互の違いを表出させることが必要。相互の違いを表出させることは、お互いにとって、いっときの痛みを伴うこともある。この痛みを覚悟して相手と向き合うのか、それとも、痛みと相手から目を背けるかどうかが、「職場におけるコミュニケーション」の問題が解決するかどうかの分水嶺だと思うのです。

ちなみに、痛みと相手から目を背けてしまっている例(欠席裁判)や、痛みと相手に向き合う方法(本人の目に映る景色を想像する)については、過去にいくつか書いてみました。

対話→期待→信頼

信頼に依拠した対話というコミュニケーションでもって、「教える−教わる」という関係性を捉えた本書の一節がこちらです。

社会的不確実性が大きい時代において、私たち教える側に求められるのは、相手に対する 「信頼」です。
ここでの信頼とは、 次のふたつを意味します。

・相手の能力に対する期待:やると言ったことを、ちゃんと実行する能力をもっている
・相手の意図に対する期待:やると言ったことを、ちゃんとやる気がある

つまり、「対話を通して納得解を得たならば、ちゃんとやるだろう(できるだろう)」と考え、任せるのが、信頼なのです。

対話型OJT 主体的に動ける部下を育てる知識とスキル』より

これを読んだとき、自分自身の普段の振る舞いを思い直さずにはいられませんでした。

◆「私は、『能力に対する期待』と『意図に対する期待』を区別して、相手と向き合っていただろうか」
◆「私は、『能力に対する期待』と『意図に対する期待』のそれぞれを、相手に言葉を尽くして伝えていただろうか」

2つの問いに、自信を持ってYesと答えられなかった自分を強く覚えています。

「あの人」とともに作り上げていく信頼

信頼という言葉を通して相手と向き合うとき、真っ先に浮かぶ問いは「あの人は信頼できるだろうか?」だと思います。

ただし、「あの人は信頼できるだろうか?」という問いの論理的帰結は、YesあるいはNoの2つしかありません。Yesのときはいいとして、Noという結論に至ったとき、私たちは「あの人」とどうやって、一緒に働いていけばいいのでしょうか

ここで、「あの人は信頼できるか?」という総括評価的な問いではなく、「どれくらいの期待であれば、あの人を信頼できるようになるだろうか?」という、「期待」や「対話を通して得られた納得解」を媒介にした形成評価的な問いを持ち出してみます。(なお、総括評価と形成評価というメタファーについてはこちらを参考にしてください)

私とあなたの対話を通して、「求められる仕事の質」をすり合わせていく。すり合わせた結果は、納得解として、私とあなたの間の「約束」になる。事前にすり合わせているので、その約束には、「果たされる(ちゃんとやる)見込み」がある。見込みがあるので、相手に「期待」を持てるし、相手を「信頼」できる。対話という手間を惜しまなければ、こういう好循環が生まれるのではないでしょうか。

信頼というのは、「私とあなたの関係性」から独立した客観的な『尺度』として存在するのではなく、「私とあなたの関係性」のなかで、「ともに作り上げていく『様態』」なのだと思います。

◆「私は、『能力に対する期待』と『意図に対する期待』を区別して、相手と向き合っていただろうか」
◆「私は、『能力に対する期待』と『意図に対する期待』のそれぞれを、相手に言葉を尽くして伝えていただろうか」

この2つの問いに胸を張ってYesと答えられなかった私は、「どれくらいの期待であれば、あの人を信頼できるようになるだろうか?」という問いを突き詰めることなく、「あの人は信頼できるか?」という安易な問いに流れてしまっていたのかもしれません。そして、心のどこかに、Noを抱えながらその人と向き合ってしまっていたのかもしれません。信頼という様態を、ともに作り上げることから距離を置いてしまっていたとしか言いようがありません。

「あの人」と同じ職場で働く理由

「あの人は信頼できるだろうか?」という問いを持ち出せば、楽であることは間違いありません。一方で、「どれくらいの期待であれば、あの人を信頼できるようになるだろうか?」という、面倒くさい問いから対話を始めれば、時間もエネルギーも余分に使うけれど、より多くの人と「同じ職場で働く」可能性が広がるはずです。

「同じ職場で働く」ということと「業務の委託関係」ということの違いはなんだろう。

私たちは職場で、「仕事をお願いする」「仕事の結果を返す」以上の、どんなやり取りやつながりの中にいるのだろう。私とあなたの関係性が、「仕事をお願いする」「仕事の結果を返す」という業務の委託関係に閉じるのであれば、私とあなたは、同じ組織の構成員ではなくて、業務の委託元と委託先という関係性でもって、じゅうぶん説明されうるはずだ。

業務の委託関係の外にある、やり取りやつながりが、同じ組織にいることの必然性につながる。

過去の自分と対話する。未来のリーダーを育てる方法 | 『対話型OJT 主体的に動ける部下を育てる知識とスキル』』より

「安心」ではなく、「信頼」に依拠した、「対話」というコミュニケーションのかたち。「対話」を通して、「求められる仕事の質」をすりあわせる。そうすることで、私とあなたの間には「約束」が、さらには「期待」が生まれ、それが「信頼」として積み重なり、さらなる「対話」を生む。この循環は、「強い組織」の一側面たりうるのではないでしょうか。

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信頼関係というキーワードを出発点にして、「対話」「約束」「期待」などを行き来しつつ、職場におけるコミュニケーションについて考えてみました。みなさんの現場では、「求められる仕事の質」について、どれだけ丁寧な言語化やすり合わせを行っているでしょうか。

次回は、本書にまつわる記事の最終回として、「謙虚さ」というキーワードを取り上げたいと思います。



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