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最善を尽くしたからこその幸せ/夫の命日に寄せて
ちょうど二年前の今日、出会いから43年目の二人の日々に終止符が来ました。パンデミックの始まりと同時にステージ4のがん宣告を受けて、その7ヶ月後のことでした。
ステージ4の癌と知らされ大ショックを受け二人で泣きましたが、その時点では夫に残された時間が月単位とは知るよしもありませんでした。わたしたちは最後までドクターに「あとどれくらいですか」という質問はしませんでした。
聞くのが怖かったのと、聞いてどうなる?という思いがありました。ただ、わたしはそのときに強く決めたことがありました。
そのとき自分にできる最善を尽くすこと。
パンデミックの中での闘病でしたから、日々を笑顔で普通に暮らすことは簡単なことではありませんでしたが、決断したからこそ強くいられたと思います。辛くて辛くて毎日こっそり泣きました。シャワーを浴びる時間がわたしが泣いてもいい時間でした。シャワーの音がわたしの声を消してくれたし、涙も流してくれました。
涙をぜーんぶ流したあとは、いつもの自分に戻り動けなくなっていく夫を助け、食べられなくなっていく夫に少しでも栄養のとれるものを食べさせました。最期まで普通に過ごすことができたことは自分の人生最大級に誇らしいこととなりました。
ただ、ひとつだけ小さな悔いがあるとしたら、夫の最期の息をわたしは見逃しました。ホスピスから派遣されていたナースが付き添ってくれていたのですが、「音は最期まで聞こえていますよ」というので、意識が朦朧としている夫に、好きな曲でも聴かせてあげようと音楽をかけるために夫の真横から離れ振り向いた瞬間、ナースが「あっ!」と声をあげて時計を見ました。
その時が訪れたのでした。
家には娘夫婦と次男夫婦が、わたしといっしょに待機してくれていたので、みんなのいつもと変わらぬ話し声や笑い声が夫の耳には届いていたと思います。
長男タロー夫婦は、家から近かったゆえに自宅にいてその瞬間はその場にいませんでした。末息子はデトロイトの自宅にいて、2日前にかなりお別れが近い気がすることは伝えていましたが、なにぶんひどいコロナ禍でのこと、他の人と接触したばかりの末息子は末期癌の父親のそばに来ることをためらいました。
ただ、臨終のときにいなかった末息子と長男夫婦は亡くなる10日ほど前に、夫といっしょに最期の晩餐をしていたことがせめてもの救いでした。夫が「ロブスターが食べたい」というのでメイン州から直接取り寄せロブスター晩餐会をしたのです。あれほど食べたかったロブスターも美味しくは食べられなかったようですが、それでもその時間は息子たちふたりにとって、父親との最期の時間として彼らの心に刻まれたはずです。
もし、夫の「ロブスター食べたい」をわたしが叶えられずに見送っていたら、きっと今でも「食べさせてあげればよかった」と後悔していることでしょうから、ほんとうにあのとき、生きたロブスターを取り寄せ食べさせてあげることができて良かったと思っています。
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亡くなる3週間前には夫が仲良しだった同僚の家に連れて行き、米国に来てからいちばんお世話になった教授とも面会して楽しい時間を過ごしました。そのときそこにいた人たちの誰もがその3週間後に夫が他界するとは夢にも思っていなかったと思いますが、わたしの決断はここでも英断でした。
不思議と9月のその日「連れて行かなきゃ。会わせなきゃ。今日を逃せばあとはない」と胸騒ぎがしたのです。
だんだん時間がなくなっていることは目に見えていたので、手をにぎり励まし続けてできる限りの世話をしていました。そんなときに、夫が力を振り絞るように「まだいっしょにいたい」と言いました。
生きていてもいっしょにいたくない夫婦も多い世の中です。別れたいのに社会的に別れられないだけの仮面夫婦も少なくない中、そんな言葉を遺してもらったわたしは幸せだと思います。また、そう思える妻の横で最期を迎えた夫も幸せだったことでしょう。
「オレのこと忘れたら嫌だけど、自分がいなくなったあとには必ずいい人を見つけて残りの人生を楽しみなさい」とわざわざわたしに懇願したことも、遺していくことになる妻への夫なりの愛情だったのだと思います。
ほんとうに、ややこしいおっさんでしたが、かっこいい生き方をした人でした。
「ひとりで生まれてひとりで死んでいく」
その過程をわたしの前で見せてくれたことの意味はほんとうに大きいです。失った悲しみは今も大きくのしかかったままだけど、いつかは死んでしまうからこそ、毎日元気で幸せに過ごすことがどれほど尊いことかと2020年に思い知りました。
元気で動ける体を維持し、心身健康で笑って過ごせる日々を少しでも増やせるように、シャカリキエイエイオーと前を向いて暮らしています。
アラ還・没イチでも、さらなる幸せな日々を目指して!!
そんなわけで#今日やったこと。
今日は夫が大好きだった曲をたくさん演奏して過ごしました。
どの曲も思い出をよみがえられてくれるからね。😘
『トップ・オブ・ザ・ワールド』『悲しき天使』アバの『ブーレ・ブー』etc彼のお気に入りでした。
夫の命日に寄せての投稿でした〜。
亡くなって間もないころのnote初投稿
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