雪景色をながめながら
ここは長野県。 南アルプス の松本という町です。
朝起きるとまさかの雪景色。
瞑想からスタートしようとしたけれど家族がわんさか起きてきた。
それで今朝は久しぶりに肩と首にお灸をした。
今日はひとりになれる時間があり
午前中は久しぶりにゆっくりと読書ができた。
ネイティブアメリカンの言葉に
「今日は死ぬのにもってこいの日」というものがある。
いのちはたやすくとじることはできない。
自分のほかに だれも代われない
自分にしかできない こと
そこには 歴史的な 願いもかかっている。
いきる いみ を 追求すると
何か おもたい
おもたくて ともすれば 息がくるしくなりそう
でも だからこそ 人は 歌を 歌う
音楽を 奏でる おどりを おどる
のかもしれないと想像してみた。
いきる いみが すばらしすぎて
まぶしすぎて あまりにも すごすぎて
きっと いてもたってもいられなくなるのかもしれない。
闇 のほう ではなくて 人は いつでも
光 をめざさなくては。
光 をめざさなくては。 だから
やっぱり ひとりぼっちは いけない。
ひとりぼっち って 人間だけの言葉かもしれない。
孤独とか そういうのは個人主義からはじまる。
そこからうまれるもののその先に
光は あるのだろうか。
いきているかぎり 人は
光 をめざして いきてほしい
やっぱり いのち というものは
やっぱりそんななんじゃないかなと
グルグル グルグル
そう思いました。