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いまさらベストセラー本「嫌われる勇気」を読んでみた。自由とは何か。

どうも七味唐辛子のことを「七色(なないろ)」っていう文化があることを最近知った押方です。

いまさらながら、ベストセラー本「嫌われる勇気」を読みました。素直に良い本だなと思ったので、感想をぽつぽつ書きます。

▼これです!!


Ⅰ「読みやすさ」がすごい
Ⅱ「共感」がすごい(Ⅱ-ⅰコンプレックス / Ⅱ-ⅱ課題の分離)
Ⅲ「結論」がすごい

※ネタバレ含む※

Ⅰ「読みやすさ」がすごい

この本を読む前、心理学に基づいた自己啓発本という認識しかなかったので、堅苦しい文体で読みにくいだろうなぁというイメージがありました。
しかも私は作者が一方的に、つらつら自分の考えを言ってくるだけの本に嫌悪感もありました(もちろん有益ではあるので読むは読むのですが)

実はこの本、2名の会話劇でストーリー構成されています。登場人物はアドラー心理学を学んだ「哲人」と、人生に悩みながら、それでもアドラーを理解しようとする「青年」。
終始「青年」が「哲人」に対して、疑問や反論を投げかけ、それを「哲人」がアドラーの心理学をもとに説明していくという流れになっています。

この構成の上手い所はある意味「インタラクティブ」になっているということです。
「哲人」が諭すアドラーの心理学に対して、「青年」は反発したり、一度受け入れたかと思えば、家に帰って熟考し、やっぱり間違っていると反論したりします。
これがまぁ、ボクが読み進めていくうちに感じたり、考えたりした疑問や反対意見とうまくマッチするのです。読み進めていくうちに「青年」は自分ではなないかと錯覚してしまうほど。
そして「哲人」は、その反対意見を見事にアドラー心理学に基づいて、うち砕いていきます。
ボク自身が「哲人」に意見し、そして説得されてるような感覚になります。

つまり、読み進めていくうちに出てくる疑問や反論を、本の登場人物が代弁してくれるので、一般的な自己啓発本と違って、意見のやり取りをできる(できる感覚になる)ことが、この本の魅力です。

勿論、これは「青年」の言葉とボクの考えが多くマッチしていたからで、
本当の意味での「インタラクティブ」ではないです。(「ある意味」と付けたのはその為です)
読み手によって感覚は異なると思います。

ただこの本がこれだけ売れているのは、この構成によって、意見を一方的に言われ続けるだけの自己啓発本との違いを、多くの人が感じたからではないでしょうか?

Ⅱ「共感」がすごい

Ⅱ-ⅰコンプレックス

「あるある」と言い換えてもいいかもしれないです。
アドラーの心理学は、心をえぐられることも多いですが、それは裏を返せば見ようとしていなかった真実を、目の前に突き付けられることでもあります。

例えば「劣等感」について、アドラーは「劣等感を長く持ち、我慢し続けることができる人は誰もいない」と述べています。それほど重いものだと。

なので、人は「AだからBできない」と、AとBに何の因果関係もないのに、原因と結果を結び付けてしまうと。(例えば「学歴が低いから、成功できない」など)
これは原因論に基づくフロイト的な考え方ですが、本当によく見かけます。昔女の子にいじめられてたから、女性とうまく付き合えないとか。
ボクにも当てはまることが沢山ありました。
これはコンプレックスの第1段階です。

さらに、劣等感を我慢できず、その欠如を代替品で埋めようとすると、コンプレックスの第2段階に進化します。それを「優越コンプレックス」と呼び、いわゆる自慢です。
権威をアピールしたり、過去の栄光をいつまでも自慢したり、ファッションにおいて全身を高価なもので装飾したり、それをアドラーはコンプレックスを埋める為と指摘しています。イメージでは会社の上司とか多いんじゃないんですかね。

さらにさらに、アドラーは優越コンプレックスは、特殊な第3段階目に変化することがあると。(ここまで進化すると、もうドラゴンボールのフリーザみたいですね笑)
それはいわゆる「不幸自慢」です。
権威やファッションなどで、今のコンプレックスを埋めることができないとき、「不幸であること」そのものを武器に、人の優位に立とうとし始めます。めちゃくちゃ身の回りにいそうな感じしません?実際こういう人いました。

ボク的にはこの3段階目はかなり厄介だと思っています。
それは不幸自慢は、自虐ネタと紙一重だと思っているからです。
自虐ネタは一般的にウケる傾向にありますし、自分を傷つけるだけで他人を傷つけないので、とても使いやすいです。なので世間話や飲みの席、はたまた商談のアイドリングトークとしてもよく使用されます。
不幸自慢と、自虐ネタの違いは「相手に対して優位に立とうとしていないか」です。これをチェックポイントととして、頭の片隅に置いておかないと、思いもよらず不幸自慢することになりかねないと危惧しています。

Ⅱ-ⅱ課題の分離

この本の中で良い言葉だなと感じたものがあります。

「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」

この言葉はアドラーの「課題の分離」に基づく考えに似ています。
この世には「自分の課題」と「他者の課題」があります。
例えば相手に気にいってもらえるように振る舞うか否かは、「自分の課題」です。ただそれを気に入るかどうかは「他者の課題」だと。そこを理解し、物理的ではなく、精神的に適切な距離を取ることが大切だと著書では述べています。

この話を読んだとき、SNSの誹謗中傷問題が頭の中に浮かびました。

SNSで何かを発信するか否かは「自分の課題」です。
それに対してどう思うか、どういう反応をするかは「他者の課題」であるのに、それに介入しようとし過ぎて、気を病んでしまうことが多々あるのではないかと思っています。他者がどう思うかを操作することはできないのに。

実際有名アスリートが誹謗中傷なら自分に寄せてくれという発言をしているのを見ました。自分は気にならないからと。これは課題の分離ができており、精神的に適切な距離を取ることができている証拠だと考えます。

Ⅲ「結論」がすごい

この本の結論は、「他者貢献であれば、何をしてもいい」です。
これはボクが勝手に結論としているだけです。要所要所に結論はあります。

「他者貢献」という導きの星さえ見失わなければ、自由に自分の人生を生きて構わない。嫌われたっていい。そういう結論です。

この結論を知った時、ボクは「あれ、これだけ?」と思いました。
「結局読み手にぶん投げるんかーい!」と心の中で突っ込みを入れました。「なんて抽象的な結論だ」とも思いました。
それが未だに著書の意図を理解できていない証拠なのにも関わらずです。

この本には「世界は今すぐにでも変えられる、自分の見方さえ変われば」と述べてあります。

そう自分が変わらなければいけない、自分で決めなければならないのです。
それを気づけず、この本の最後には自分が変われる何かをもらえると思ってました笑 読み終わって少し時間が経って、勘違いをしていたことに気づきました。

今ではこの結論がとても具体的な内容だと思ってます。


さいごに

著書でも最後に引用されていましたが、アドラーの言葉をメモっときます。



誰かが始めなければならない。

他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。

わたしの助言はこうだ。

あなたが始めるべきだ。

他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。

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