特許明細書でandとorを訳す際にやりがちな初歩的なミス①
前回の「特許翻訳考察マガジン」のテーマは、並列の「や」でしたので、今回はそれに関連して、同じようなテーマを扱いたいと思います。
前回の記事はこちら。
私が特許翻訳の勉強を始めた頃、最初に学んだのは、用例用語における「及び」「並びに」と、「又は」「若しくは」の意味(用法)の違いでした。
この記事をご覧の方の多くはご存じかもしれませんが、念のために解説をしておくと、基本的にはandを「及び」、orを「又は」と訳す、という原則があった上で、
・「及び」と「並びに」に関しては、3つ以上の異なる概念のものをグループ分けする場合において、最も大きな概念を「並びに」で括り、それ以外の概念どうしは「及び」で括る
・「又は」と「若しくは」に関しては、3つ以上の異なる概念のものをグループ分けする場合において、最も大きな概念を「又は」で括り、それ以外の概念どうしは「若しくは」で括る
というルールになっています。
例えば、特許明細書の中だと、アミノ酸の具体例を挙げるときに、その性質で分けて列挙をするときに、「アミノ酸としては、アスパラギン酸及びグルタミン酸などの酸性アミノ酸、リシン及びアルギニンなどの塩基性アミノ酸、並びに、グリシン及びアラニンなどの中性アミノ酸が挙げられる。」のように、アミノ酸の大きな分類どうしを「並びに」で繋いで、その個別分類の具体例どうしを「及び」で繋ぐ、といった感じです。
特許翻訳をする場合には(そして恐らく、特許明細書を書くには)この基本原則を理解するのが第一歩だと言えますが、最近、この基本的な規則すら理解せずに翻訳をしている人の訳文を目にすることが多いです。
ただ、今回言いたいのは、「規則すら理解できていない人がいる」ということではありません。
むしろ、「規則を理解しているんだろうけど、なぜか誤解している」ということをまとめたいのです。
今回はその1つ目で、他の翻訳者の訳文を見ているときに「間違っているな」と気付くのは、
ある文章では3つ以上の階層をつなぎ合わせているのに、別の文章では2つの階層だけをつなぎ合わせているように表記が変わっているにもかかわらず、3つ以上の階層をつなぎ合わせるときと同じ表記が用いられている
というものです。
例えば、上に挙げたアミノ酸を使って例を挙げると、明細書のある箇所では、
An example of amino acids used in the present invention includes an acidic amino acid such as aspartic acid or glutamic acid, or a basic amino acid such as lysine or arginine".
と書かれており、他の箇所では
An example of amino acids used in the present invention includes an acidic amino acid such as aspartic acid or glutamic acid.
と書かれているような場合です。
最初の英文では、「本発明で用いられるアミノ酸の例としては、アスパラギン酸若しくはグルタミン酸などの酸性アミノ酸、又は、リシン若しくはアルギニンなどの塩基性アミノ酸が挙げられる。」となり、”an acidic amino acid such as aspartic acid or glutamic acid"と"a basic amino acid such as lysine or arginine"が、さらに"or"で繋がれているので、「又は」と「若しくは」を両方用いる必要があります。
一方、2つ目の英文では、列挙されているのは酸性アミノ酸の例だけですから、訳としては「本発明で用いられるアミノ酸の例としては、アスパラギン酸又はグルタミン酸などの酸性アミノ酸が挙げられる。」となります。ここでは、当然ながら「酸性アミノ酸」以外の、レベルが同じ概念どうしは繋がれていませんから、orは「又は」と訳す必要があります。
しかし、時々、このようなケースで、「又は」ではなく「若しくは」が使われていることがあるのです。
これは、「3つ以上の階層をつなぎ合わせる場合の法令用語の使い方」には当てはまらない(「及び」「並びに」と「又は」「若しくは」の使い分けの問題ではない)わけですから、間違いの原因は別のところにあるのかなと思ってしまいます(用語の使い分けが理解できているのであれば、「又は」を使わずに「若しくは」だけを用いることはないはずですから)。
それでは、原因は何かというと、最初に出てきた訳の「アスパラギン酸若しくはグルタミン酸などの酸性アミノ酸」の部分を、手入力せずにそのままコピペしてしまったのではないか、と私は考えます。
翻訳の仕事では、翻訳ソフトという、翻訳効率を高めるためのツールを用いることが往々にしてありますが、このような場合に、前に訳出した文章に類似している箇所があると、その訳が部分一致として検出されることがあります。あるいは、仕事の効率化のために、"an acidic amino acid such as aspartic acid or glutamic acid"というフレーズを「本発明で用いられるアミノ酸の例としては、アスパラギン酸若しくはグルタミン酸などの酸性アミノ酸」という訳フレーズとペアにして用語登録して、同じ表現が出てくるときは、クリック1つで挿入できる、ということをすることもできます(私も実際、よく使います)。
(※この翻訳ソフトに関しては、翻訳者ではない弁理士さんなどはイメージしづらい話かと思うのですが、ソフトに関しての詳しい説明は字数の都合上割愛させていただきます。すみません)
さて、話を戻すと、今回の場合、「アスパラギン酸若しくはグルタミン酸などの酸性アミノ酸」という表現は、ある文脈では正しいのですが(最初の例文)、別の文脈では正しくない場合があります(2番目の例文)。
こういう場合に、「同じ表現があったから」ということで、細かい部分を確認せずに、そのまま流用してしまうことで、法令用語の観点で見ると「誤訳」となってしまった訳文が生成されてしまうことになります。
実は、私もたまにこのような間違いをしてしまうことがあるので、人のことをどうこう言えるものでもないのですが、改善策として、翻訳ソフトで訳語登録をする場合は、必ず「~又は~(~及び~)」の表現で登録して、繰り返して出てくる場合には、その文章で記載されている階層の数を都度確認して、必要に応じて「若しくは(並びに)」に修正するようにしています。
このようなミスは、法令用語の理解ではなく、仕事効率化を重視する中での陥穽というかエアポケットと言えるのではないかと思います。
私は翻訳者なので、翻訳者目線でのミスとして説明したのですが、もしかすると弁理士さんが明細書を作成する際にも、他の箇所からのコピペ流用でしませ、階層の記載が違っているのに法令用語の修正がされていない、というようなことがあるのかもしれません。
せっかく、用語の理解はできているのに、このようなケアレスミスをするのは勿体ないと思うので、翻訳を進める中で、あるいは見直しの中で、重点的に気に掛けるポイントであってもいいのかなと思います。
※法令用語の訳出に関する考察の後編は、こちらの「②」にまとめています。