戦争と人
戦争には興味が無かったが、2012年より、神戸市長田区にある父方の祖母が住む家の前にある倉庫として使用していた家を綺麗に掃除してアトリエとして使い始めたのがきっかけだ。
神棚だけは無くさず置いていたが、制作中に邪魔になると思い神棚を撤去すると、奥の方から血のような濃い赤色に所々汚れている大日本帝国万歳と書いている布を見つけた。祖母に聞くと、祖母の弟が戦時中、特攻隊で無くなったと聞いた。また、自分が、アトリエとして使っていた家はその弟の元々は持ち主であることを聞いた。
それから、戦争が他人事のように思えなくなり、戦争の事を考えるようになりました。最近、宇宙開発やAIの技術が目覚ましい中、過去の遺産だと思っていた戦争が始まり、なぜこんなにコストが悪い事をしているのか時代遅れな事をしているのか、不思議に思い人と戦争をテーマにした作品を今回の個展で発表したいと思いました。戦争を動物で例えて人の形にすると、鹿が一番近いと思いました。何故かというと、角がある動物は、ある程度の角が伸びると攻撃的になり、些細な事で角が伸びていない時に比べて自分以外の動物を襲う傾向がある。牛の飼育は、人が爪を切るようにのこぎりで角を切る。角には神経が通っているので大量の出血が出る。角を切った数日間、牛は痛そうにしているが、痛みが消えると明らかに角がある時に比べて落ち着きが見られる。これは牛の場合ですが、角がある動物はなぜ角が生えるかというと、そもそも他の動物と戦う為であり、自分の身を守る為である。また、角が伸びていればいるほど、攻撃的になるホルモンが出るとか聞いたが、仕組みが忘れてしまいました。牛の角はあまり大きく伸びない事や(途中で折れてしまう)自分が思う人に近い所に住んでいる動物で角が大きく伸びるのは鹿なので今回この動物をモチーフにしました。
人の歴史を見ると、私はどうしても争いが無ければ、人の文化が育たなかったと思う。また、差別や偏見は相手よりも幸福だと優越つける為に必要で、時にはそれは無駄な争いを抑制する事にもなった。これらは、どんなに文明が発達しても完全には無くなる事は無いと思う。歴史を積み重ねる事により、道徳を養う事により差別や偏見、人の死に繋がる戦争は人としてやってはいけないと歴史より学び、道徳を外れる行為は人の集団から外れて自分が不利になると学んだ。人は、どこまで行っても自分という存在が中心にあり、周りの人は遠くなればなるほど大切な存在では無くなっていくと思う。ただ、自分の親や子供の為に自分を犠牲にして助ける事は時々あるが、これは結局の所は自分の為であると思う。この心理が、国家が戦争へ人々を導く為に利用した方法だと思う。
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