確かな倫理 (村上春樹 「かえるくん、東京を救う」
多くの読者を得れば、結果、書き手が痛みを覚える機会は増すだろう。支持の声が慰めにはなっても、軽薄さが可能にさせる批判や嫉妬の類、言わば人の恥部を目の当たりにする経験を重ねた作家が知る景色を思う。
「かえるくん、東京を救う」では、地底の闇と温もりの中で眠りこけ、目は退化し、脳味噌は溶けて様々な憎しみで膨れ上がっているみみずくんが東京で地震を起こそうとしている。
かえるくんが、それと対峙するために力を必要とする片桐は、地味で平凡ではあるが、自己を犠牲にし、器用とは言えない歩みを重ねた人物だ。
かえるくんは片桐に、勇気と正義を認め、あなたような人にしか東京は救えないと言い、同時に、あなたのような人のために救うのだと言う。
世間には当たり前のように暴挙があり、孤独な闘いがある。我々の平穏な生活が、誰かの犠牲や勇気の上に成り立っていたりすることさえ意識されずに埋もれてしまいがちだ。
そういう名もなき事象に光を当てる氏の眼差しに、氏の通り抜けてきた景色を私はつい、思いたくなる。ぬるくない体験を経て口を閉ざすことなく、作家として昇華……といちいち述べてしまっては、野暮としかられるだろうか。
単に自身の価値観との合致としてはそれまでだが、氏の作品には、確かな倫理が漂う。