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この世の黄昏のような座席から
本を読み終えたので、感想を簡単に記しておく。
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森有正『思索と経験をめぐって』講談社学術文庫
収められているのは五つの文章と、短いあとがき。スタイルはエッセイ風であったり、手紙のようであったり、講演を文字に起こしたものであったりするが、「経験」とはどういうもので、それがいかに重要であるか、というテーマが全ての文章で一貫している。やや哲学的な内容を非常にかいつまんでいうと、
内面に促しを与えてくる経験を大切にし、それを追求することで、個性を持った人間、すなわち個人が形成されていく。
何かについて知るということも、まずは身近にあるそういう経験をつかまえて、そこから思索を深めていくしかない。
と、だいたいこのようなことを言っている。
内面に促しを与えるとは、一本の木でも、何かの作品でも、それが自分をどうしようもなく捉えて離さないとか、それに接していると、自分も何かやりたくてうずうずしてくるとか、さまざまな経験の中にあるそういう作用のことを言っている。
概念として勉強で知った知識よりも、そういう経験を大事にせよ、というと、ある意味とても当たり前のことを言っているようにも思えるが、そういう「経験」とそうでない無数の、経験未満にとどまる出来事との間にある差は何なのか、そもそも我々日本人が日本語でこのように「経験」と呼んでいるものの本質はどういうものなのか、そういうことについて真剣に考えていくと、これは相当に深い問題であることがわかってくる。
・パリという町では、誰もが自分を探している、というか、自分自身に成ろうとしている。
・プルーストの小説に書かれているものこそが、まさに「経験」であること。プルーストは複雑な文体を編み出し、作者としての意識が、作中で展開される回想に介入してこないようにすることで「経験」を描き出した。
・『善の研究』において「純粋経験」について論じていた西田幾多郎の哲学との関連性。
あとは他にも、このような点が気になった。