旅の土産: 「マダムブリュレ」(大阪)
もう一つ、分かっていなかったことがある。
どうしてこのお土産を買いたいのかということだ。大阪の「マダムシンコ」は有名で、看板商品のマダムブリュレは累計で1000万個売れているらしい。具体的な数字を出して説明されてもすんなりと納得できず「良いことと良く思われていることは違う」とぼくはまた持論で武装し、反抗的な子供のようになっていた。
近代民主主義、インターネット、SNSの登場などによって切り開かれてきた消費社会の局面において、「数が多い」ことは長い間、評価の基準としてその玉座を占めてきた。成長の鈍化や人間の能力の限界に突きあたって、いまやこの価値観も大いに反省されるべき時にある。
しかし、マダムブリュレに戻ろう。1000万個も同じ商品が売れているのだ。日本の人口が1億2000万人ほどであることを考えると、驚異的な数である。日常的に食べるものでもないお土産に、安くはないお金を払って、人々が店を訪ね、あるいは最近ならインターネットで検索して、買って行ったのだ。この数字の持つリアリティ、そこにはやはり何かがあると考えるべきだろう。
ピンクと豹柄の外箱も衝撃的だが、箱を開けると強烈な香りが立ち上り、一瞬にしてあたりをただならぬ空気に満たした。
圧倒的存在感。
お茶がなければ飲まれてしまいそうだった。一泊目のホテルの部屋にあったものだが、とっさの判断でカバンにつっこんでおいてよかった。
ちなみに一保堂はホテルにチェックインしたあと、本店へ抹茶を飲みに行っていたので、数奇なめぐりあいを感じた。
さて、たのもしい友を得ていただきます、と言いたいところだが、よく見ると箱の裏面においしい食べ方が書いてある。滅多にないチャンス、こちらとしてもおいしく頂きたいのでありがたい。どれどれ、冷凍、常温、温める、……結局全部おいしいのかよ。
しばらくこのまま持ち運んだこともあるし、初めてなので今回は常温でいただくことにした。
常温、にもかかわらずずっしりと構えている。包丁が必要なほどではないが、フォークはすんなりと入っていかない。改めてしっかりと力を込めると、ぐっ、ぐっと、やがてゆっくり沈み込むように入った。切っているこちらの獲物が引き摺り込まれていくような感触だ。
甘い!
小細工なしの豪快な甘さが口に含んだ一切れから溢れ出し、鼻を抜けて顔全体まで浸し、その勢いのまま天にまで昇っていくかのようだ。
たっぷりと施されたキャラメリゼの下から深いメープルの薫りが漂い、互いに激しくぶつかり合うことで生じる味の黄金の均衡。表面はざらつく飴のような食感で、溶けた部分は下のバアムと一体化し、パリパリともしっとりともつかない舌触りの、波打ち際のような空間。
甘さ、香ばしさ、そしてほろ苦さ。キャラメリゼは夜空をかける魔法の絨毯か、はたまた変幻自在な海の水か。どこまでも深く長く伸びて、このスイーツの深奥まで味わい尽くせと、私たちを連れ去っていく……。浮き輪みたいな見た目で。
ところで、なぜ僕のこのブリュレが初めから半分切れてるのかというとある人が、マダムブリュレは一人で食べるにはけっこうなボリュームだから半分でいい、と言っていたので、マダムブリュレのおいしさに半信半疑だった僕の提案で、一緒に買って半分こしたのでした。
もう半分あってもよかったな……