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万葉旅団

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#京都

葦辺(あしへ)ゆく鴨の羽がひに霜降(ふ)りて寒き夕べは大和し思ほゆ 志貴皇子

葦辺(あしへ)ゆく鴨の羽がひに霜降(ふ)りて寒き夕べは大和し思ほゆ 志貴皇子

寒い。とにかく寒い。こんな夜は鴨の羽交いに霜が降りているのが見られるのではないかと、鴨川に出てみたが5分で帰宅した。早く帰った言い訳ではないが、

葦辺ゆく鴨の羽交いに霜降りて

このフレーズが情景とともに伝えてくる、しんと冷たい夜の空気感は、現代の町の騒々しい音や光に囲まれた鴨川では、そもそも味わうべくもなかっただろう。

そもそもといえば、この歌の、鴨の羽交い(左右の羽が背中で交差するところ)

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幸福(さいはひ)のいかなる人か黒髪の白くなるまで妹が声をきく 詠み人知らず

幸福(さいはひ)のいかなる人か黒髪の白くなるまで妹が声をきく 詠み人知らず

万葉集には相聞歌、挽歌、雑歌という三つの部立てがあり、この歌は挽歌に属している。

恋の歌、
死の歌、
その他の歌。

このような部立てがあること自体が、古来から人がどのような時に心を動かし、歌を詠もう、あるいは読もうとしてきたのかを物語っていて大変興味深いが、それは、ひとまずおいておこう。

黒髪が白くなるまで、妻の声をきく人は幸せだ。

この歌が、人の死を悼む挽歌であるということは、自分は、白

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六月(みなづき)の地(つち)さへ裂けて照る日にもわが袖干(ひ)めや君に逢わずして 詠み人知らず

六月(みなづき)の地(つち)さへ裂けて照る日にもわが袖干(ひ)めや君に逢わずして 詠み人知らず

暑い。とにかく暑い。だから今回は熱い歌を取り上げてみた。
六月というと、現代の暦から夏の入り口や梅雨のイメージを持たれるかもしれない。
しかし、これは旧暦の六月なので、まさに夏、真っ盛りである。

私の袖が乾かないとか、袖が濡れている、という表現は和歌にはよくある。涙に暮れているということだ。(昔の人は、袖で涙を拭っていたのだろう。)
しかし、それを強烈な夏の日差しと対置させた、このような歌を見つ

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ひさかたの天ゆく月を網にさしわが大君はきぬがさにせり 柿本人麻呂

ひさかたの天ゆく月を網にさしわが大君はきぬがさにせり 柿本人麻呂

この歌にでてくる大君(おおきみ)とは、人麻呂が仕えた天武帝の皇子、長(ながの)皇子のこと。
というと、天皇の皇子の威光をたたえるような、この歌のひとつの側面があらわになってくるようだが、しかし、それはあくまで一つの側面でしかなく、もっとシンプルにこの歌一番の魅力は、と考えたら、やはり、月に網をさし、衣笠にしてしまう人麻呂の、自由自在な想像力だろう。
この表現はイマジネーションの壮大さと、現実とのギ

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