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「ポッド・ジェネレーション」を観て【親性】について考える

ドラマ・映画好きなキャリアコンサルタント xyzです。

12月1日は映画の日、一年で映画料金が一番安くなる日。わたしは「ポッド・ジェネレーション(原題: The Pod Generation)」を観てきました。


中央に鎮座しているのが人工子宮のpod


日本版ポスター。
海外版ポスターはこちら。

日本版とは色あいも構図も何もかも違う

映画の公式サイトもあります。

あらすじはこちら。

近未来のニューヨークで暮らすレイチェルとアルヴィー。

大企業のペガサス社は、持ち運び可能な卵型の《ポッド》を使った気軽な妊娠を提案する。

ハイテク企業に勤めるレイチェルは新しい妊娠方法に心惹かれる。一方、植物学者のアルヴィーは自然な妊娠を望む。

そんな二人が、出産までの10ヶ月の間、《ポッド》で赤ちゃんを育てることを選択したー

「ポッド・ジェネレーション」オフィシャルサイト STORYより

気軽な妊娠をご提案?

レイチェルはIT企業勤務のいわゆるバリキャリ(死語)。ワークスタイルは通勤、AIを駆使した快適でクリーンなオフィス環境で仕事をしています。収入は夫のアルヴィーを軽く上回っています。幹部向けの福利厚生のパッケージとして、子宮センターの利用を会社から提示されて(しかも頭金は会社負担)大喜びのレイチェル!

アルヴィーは植物学者で大学で学生相手にフィールドワーク的な授業をしています。自然に直接触れる経験の少ない学生たちは、樹木や植物を触るのもおっかなびっくりな様子です。授業のない日は、自宅マンションの部屋の一角に作ったピオトープで植物の世話や土いじりに余念がありません。自然を愛する彼にはAIに囲まれた生活は居心地悪そうです。
AI時代に逆行するような学問、採算の取れない分野だからなのか、大学の研究費予算を削減される憂き目にもあっており……AI>自然の構図がここにも。

テック企業大手のペガサス社は傘下に「子宮センター」を運営しており、そこでは妊娠の負担を軽減するため、持ち運び可能なポッドを使った気軽な妊娠を提案しています。気軽な、と言っても費用は全くお気軽な値段ではなく高額ですが、希望者が多く予約が一杯で順番待ち状態です。

妊娠出産にかかる母体への「負担」や「犠牲」-と敢えて表現します-を軽くしたいと願う女性はかくも多いのですね。

「タマゴで産みたい」

タマゴ型ポッドを見て、まず思い出したのは、昭和に活躍した女優の秋吉久美子さん
ユニークな発言で知られた彼女ですが、特に結婚会見、その後すぐに開いた妊娠会見時の発言は型破りで、当時世間を賑わしたそうです。

「(出産は)ものすごく痛いっていうでしょ。ぜったい私のお腹は大きくならないわ。タマゴで産みたいのよ」

秋吉久美子さんの会見時の答え

タマゴで産みたい!

当時24歳だった秋吉さんの突飛な希望は、あの頃ありえないと思われていたことは、近未来が舞台のこの映画で具体的に描かれています。

母親の胎内ではなく、大きなタマゴ型のポッド(英語で豆の鞘、繭、取り外し可能な容器の意)内で生育される胎児。
抱っこ紐で固定して装着、持ち運び可能なので、父親も胎児の重さを体感(擬似体験)できます。
むき出しで抱えていたポッドを落っことしかけたり、ガラスドアに気がつかずポッドごとぶつかったり、とレイチェルとアルヴィーのポッドの扱いを見ているこちらがヒヤヒヤどきどき……。

子宮センターにて

胎児の成長も胎内環境も全てアプリで適正に管理され、希望すれば自分たちで一切面倒を見ずに出産までずっとこのポッドをセンターに預けっぱなしでもいいらしい……もちろん、母体も妊娠前と変わらず、体重や体型の変化、悪阻もなく、これまで通り、何一つ変わらずに日々を過ごせるのです。

新しい出産のかたちは、タマゴで産むスタイル。
秋吉さん、時代を先取りしていたんですね!

婦唱夫髄なカップル

レイチェルの同僚の他のエグゼクティブたちも子宮センターを利用して計画妊娠、出産をしています。仕事に専念できるように、パフォーマンスを上げられるように、とレイチェルにも子宮センターでの妊娠出産をやたらと勧めてくる人事部(怖)
妊娠出産という非常にパーソナルでプライベートな問題に、会社が介入し管理してくる、近未来の職場環境(怖)

一方パートナーのアルヴィーは、妊娠出産は自然にあるべきという主張。初めは「自然妊娠、自然分娩で」とレイチェルと対立していたアルヴィーも、レイチェルに無理やり子宮センターの見学をさせられ、最終的にはレイチェルの熱意に負けて、彼女の希望を受け入れます(というかレイチェル、先に手付打って残金の支払い済ませているから、アルヴィーには相談というより事後承諾…)。

近未来では性役割やその意識も現代より柔軟になっているのかと思いきや、たいして変わっていないのかな、と思われるような描写がありました。
レイチェルが世帯で自分が主たる働き手であるという事実を、勤務先の人事部に知られたくなくて口を濁すシーン。パートナーが自分より稼いでいないことが気になってしまう気持ちは、近未来になってもまだあるものなのね……と、ものがなしくもいとをかしかりけり。
(アルヴィーはあまりそのこと気にしている様子もなさげだけど^^)

ポッド妊娠出産の功罪

近未来の妊娠出産のスタイル、タマゴ型人工子宮での妊娠出産のメリット、デメリットを思いつく限り挙げてみますね。

【メリット】

☑️母体の負担の大幅軽減
☑️女性の精神的負担の軽減
☑️妊娠出産前後で生活を一切変えずに済む
☑️家族計画を完全にコントロール可能(含 男女の産み分け)
☑️キャリア、人生の計画を立てやすい
☑️男女ともに妊娠体験を「共有」可能
☑️男性も「親性」の自覚を持ちやすい

【デメリット】

☑️費用が高額
☑️競争率が高い
☑️「親性」が備わりにくい(特に女性)
☑️胎児や新生児以降の発達への影響等は未知数
☑️親が妊娠に主体的に関われない(子宮センターやアプリに全て管理されている)
☑️子宮を商品化することへの倫理的抵抗感

特に、デメリットである「親性」が備わりにくいこと、当事者のはずの親が妊娠出産に主体的に関われないことについては、映画でも風刺を交えて象徴的に描写されていました。

いつ親性を「獲得」するのか

妊娠による身体の変化が全くないことでレイチェルにはなかなか「母性」が芽生えてこない様子。一方で、初めこそ人工的な妊娠に大反対していたアルヴィーでしたが、いざポッドが家にやってくると、基本在宅勤務でポッドと一緒にいる時間が長い彼に、ポッドへの愛着が生まれ、「父性」が芽生えます。なんというねじれ現象!

本来、親性(Parenthood (英)、母性、父性)は生物学的性差によらず養育者に備わるものですが、これまでは「産む性」である女性側に「母性」が当然のように元々備わっているものと扱われてきました。(そうではないらしいことは、映画「母性」などのテーマにもなっていますね。このことはまた後日記事にしたいと思っています。)

それゆえ、女性とは違い身体的変化もなく妊娠の「実感」を持てない、「産まない(産めない)性」である男性には、妊娠の段階では父性、父親になる自覚がなかなか芽生えにくい(のはしかたない)と言われてもきました。

しかし、男女ともに身体的変化がないという同条件下では、親性の芽生えには性差の違いはなくなる、どれだけ妊娠出産に「主体的に」に関われるかに影響を受けるのでしょう。

親性も獲得するものなのかもしれません。獲得、でなければ、元々ある(と思われる)「親性なるもの」が覚醒するきっかけを持てるかどうか、それがいつなのかの違い、と言えるかもしれませんね。

本来女性特有の臓器のひとつである子宮の機能を、妊娠出産装置である人工子宮として女性の体外に存在させることで、自然妊娠の時代よりも女性の親性は希薄化し、男性の親性は活性化する可能性があることを映画は示していました。

この新しいかたちの妊娠出産は、ヒトの親性は性差ではなく個体差、その主体的な関わりの度合いにより獲得、発達することを、映画ではよりはっきりと示唆しているように思えました。

自然への回帰?

レイチェルとアルヴィーは、出産時期が近づくにつれ、子宮センターに対する違和感を覚えるようになります。きっかけは、センターから突然かつ一方的に出産日を決められたうえに、出産日までの数日間ポッドはセンター預かりになってしまい、ポッドに会えなくなってしまうことを告げられたことです。そこで胎児に「最後の仕上げ的な何か(失念してしまいましたが精神的な成長云々言ってきたような)」が施されると説明を受け(怖)不信感が募る二人。

ポッドへの愛着が深まって片時も離れたくないと思うアルヴィー。〝妊娠”後に度々レイチェルが見る夢は、まるで彼女の潜在意識を映し出しているかのように、砂浜や海辺などの自然の風景……。

ここ(子宮センター施設)では出産しない、と心に決めた二人。子の親は自分たちなのに、妊娠出産関連の全ての決定権は親になく子宮センターにあることを今更ながら不安に思い、自分たちらしい出産をしたいと考え始めます。

センターの反対にもかかわらず、強硬手段でポッドを自宅に持ち帰った(!)アルヴィー。出産は自然が色濃く残る海辺の別荘でしたいと言い出すレイチェル。アルヴィーはレイチェルと共に別荘に向かいます。
別荘の近くの森を散策したり、海辺の砂浜をゆっくり歩いたり。
AIロボットの音声も聞こえてこない、静かで穏やかな時間を過ごすふたり。

さて、レイチェルとアルヴィーは無事に出産できるのでしょうか?

人間の生活を便利に豊かにするために開発されたAI、あくまでも人間が主でAIが従であったはずのものが、いつしかAIに管理、制御されていく世界線。

人間らしく生きるとは、テック、自然と人間はどのように共存していくのか、そんなテーマも映画からは感じました。

最後に…

まだ封切られたばかりの映画で未見の方も多いと思いますので、ネタバレしないようにここでは結末は述べません。ここまで読んでこの映画が気になった方、是非映画館で観てみてください!

ひとつだけ。
エンドクレジット始まってもすぐ席を立たずに最後まで観てくださいね!

さて今回はこの辺で。

次回はパート2として、映画に登場したAIセラピスト•イザベラのことなどを書こうかなと思います。

最後までお読みくださってありがとうございました^^