ADHDの僕が経験した工場勤務その12(休職編)
2019年1月31日
作業ができない以上は契約続行ができないということで働いていた工場を切られることになりました
早番だったので話し合いが終わり工場を出た時間も10時半くらいでした
工場を出て入門証を返却し
自分の停めているバイク駐輪場まで距離があったので派遣の担当の人に送ってもらいました
そして駐輪場横のコンビニで降ろしてもらいふと何気なく空を見上げると
一月の終わりなのにその日は比較的暖かく
雲一つない綺麗な空が広がっていました
工場の交代勤務だと昼の光を浴びることも少なかったので
「こんなに空って綺麗だったんだ」
と思えるようになりました
心療内科
そして契約終了の前日に自分は心療内科を探していました
ADHDの診断を受けたときの病院の先生がなんとなくものの言い方などがイラっときたことがあり
名駅より少し手前の駅に直結している心療内科に病院を変えて予約しました
勤務終了してから行こうと思っていたので予約は夕方にしていました
なので11時前に寮に帰ってから夕方まで久々に爆睡することが出来て少し頭がスッキリしました
抑うつ状態
そして変えた病院で診てもらったところ
「抑うつ状態」と診断が出ました
そして眠れていなかったので睡眠薬などを処方してもらいました
それを電話で派遣の人に伝えると
次の日に派遣会社の事務所に来てくださいと言われました
心ない言葉
ちなみにADHD診断も進めたいと思い
とりあえず報告というか抑うつ状態が酷かったこともあり最初に行った心療内科にも足を運びました
すると心療内科の受付では号泣している女の子がいて必死に看護婦さんが付き添っていました
自分も泣きたくなりました
院長室に通されてから工場のことやお金の心配ごとの話を始めて1分くらいで
「あ、ちょっと時間だから」
とめんどくさそうに言われ
毒親なので家に帰れないという事情を伝えても
「仕方ないでしょ、いい歳なんだからそんな好き嫌いしてる場合じゃないでしょ」
と言われ結局薬もコンサータの以前より強いやつを処方された段階でこの医者はダメだと思ったのと同時にイライラが爆発して近くのエスカレーターを蹴ってしまいました
家に帰って工場に誘ってくれた友達に電話しましたが
「実家が嫌って言って出てきたのにこれからどうしていくんや」
とか
「お前は要領悪いよな〜工場の中で倒れれば労災も付くのに。打算的に生きろよ」
と言われました
この日は実家にも帰れない、医者も友達も全てが敵に見えて将来が見えず
「せっかく家を出るために頑張ってきたのに‥」
と涙が出ました
派遣の話し合い
1月が終わり2月1日
約束していた16時に派遣事務所に行きましたが
自分は目的地と家を出る時間の逆算が苦手なので
2分遅刻してしまい
「やっぱこういうとこだよな」
とまた悩んでいました
そして抑うつ状態の診断書を提出すると担当の人から
「米粒さんは今の状況ですぐ次に就労は無理でしょうから、1ヶ月休職してください」
と言われました
これから2月の短い休職期間が始まりました
続きます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?