【つの版】日本建国06・平城遷都
ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。
701年に大宝律令が制定され、702年に粟田真人が遣唐(周)使としてチャイナに赴きます。彼は世界帝国の先進文明を学び、704年に帰国しました。この頃持統上皇は崩御しており、まもなく武則天も退位・崩御して唐が復活します。新時代の到来と共に、日本ではさらなる国政改革が進められます。
◆慶雲◆
◆機忍◆
慶雲の改革当時の日本政界の主要メンバーを見てみましょう。持統上皇崩御後、大宝3年(703年)には天武天皇の子・忍壁皇子が「知太政官事