「政治の国」の俳優群像。『京劇』加藤徹
一般的に日本人が「京劇」という言葉から連想するものとは全く違う、中国の歴史と政治と俳優像が浮かび上がる内容で、しかも京劇や中国に予備知識がなくても楽しめる本。ハードカバーの値段でもいいような、とびきり楽しめる叢書です。
京劇は、もともと北方の北京ではなく、南の上海に近い、安徽省の地方劇でした。多くの民族が混在する中華帝国の中の多数派を絞める漢族(=日本人がイメージする中国人)の間では、そういう劇は下々の人たちのものです。
それが清の時代、日本でいうと大体江戸時代頃、満州族によって政治と民間演劇が密接に結びついて発展したそうです。「京劇」という名称に統一されたのも比較的新しいことのようで、伝統のようで伝統になりきれていない「京劇」は、もしかすると日本の伝統に見えて、実はそうでもない歌舞伎に近いところがあるのかもしれません。
清朝の歴代皇帝は歴代京劇が大好きで、自分で脚本を読んだり、役者を演じたりしたそうです。明朝の鄭成功(清朝に逆らって台湾に逃げ、清軍と闘った)を演じた清朝皇帝がいたというから、ちょっとビックリしますね。日本の江戸時代の将軍がいくら歌舞伎が好きでも、秀吉や信長を演じたりはしないでしょうから。
京劇といえば、あの派手な隈取が有名ですが、もともと京劇は舞台化粧が地味で、近代、照明装置が整ってライトがきつくなったので、濃いはっきりした隈取に変化したんだそうです。
日本の歌舞伎や能を見た中国の俳優、そして舞台関係者が京劇の近代化の参考にした話もおもしろいです。日本が明治以降、社会のいろいろな部分を改革したのを真似て、中国でも西欧思想の翻訳や文字改革、仏教改革など、いろんな分野で日本の近代化を参考にしたのですね。
そして、それは正規の留学生とか政治家の視察旅行だけでなく、ごくごく一般の人たちの間で、あらゆる分野で進んでいるし、協力しあっているのも興味深いです。
そして、日中戦争の時代から国共内戦、文化大革命時代の描写は圧巻です。まるで「見てきたように書いている」と読者に言われたというのも納得。複雑な時代のややこしい話なのに、俳優たち一人一人の生き様を描くことで、当時の社会的政治的な状況も浮き彫りになっています。ひとり、ひとりのエピソードがとにかくおもしろく、奥が深くて興味がつきません。
NHKのラジオにも何度も出演されている加藤先生は、ご自身で京劇の場面を歌われるだけでなく、実際にアマチュアサークルで舞台にたち、俳優たちと交流し、研究者なのに小説まで書いています。ああ、うらやましいアクティブさ。いろんな人に読んでいただきたい、お勧めの1冊です。