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憂いをおびた軽さ。『後宮小説』酒見賢一


コミカライズ・映画化された『墨攻』が有名ですが、酒見さんの『後宮小説』もすごくおもしろい作品です。というか、ものすごくおもしろくて、途中で止められませんでした。

いまや、ラノベでも漫画でも中華的後宮物語は普通にありますが、酒見さんの小説は1989年の作品。この時代には中華小説書くのって、ほぼ中華系の作家さんくらいでまじめな歴史ものメイン。なのに酒見さんは、第一回ファンタジーノベル大賞受賞作。本格派で、笑えて、余韻も残るのがポイントでした。

冒頭、皇帝が急死します。しかも、腹上死。だから皇帝の諡は「腹宗」。このあたりで笑える方が、この小説のメインターゲット。でも、わからなくても楽しめると思います。

物語は、中国の宦官(後宮でお仕事をするために、男性のシンボルをとった方々です)が、屈折したインテリで、いかにも客観的っぽい言い回しで語られます。

周囲を冷徹に観察し、自分のことは美化して、なおかつ残りそうな史料を書き残す感じ。そして、残った史料は限られるので、最終的に歴史書と実際の落差が大きくなる。そういう筆致で、物語が語られていきます。一つ一つの中国史書パロディに、中国史好きはツボをくすぐられます。

トンネルの子宮隠喩は、中野美代子の『ひょうたん漫遊記』あたりで、さんざん読んだ気がしますが、ここに出てくる『女大学』に至っては、もう笑うどころじゃないです。ひねり具合が絶妙で、関心するほど。この作品がアニメ化されたという話も聞いたことがありますが、絶妙な笑いと色っぽさを、一体アニメでどうやって映像化したのか興味があります。

後の蛇足はなくてもいいなとか、ラストで少し変なリアリティがあって(渾沌が切り刻まれるとかタミューンが自殺するとか)そのあたりは気にならないでもないですが、でも、それだけ。なんていうか、歴史書を適宜偽造しつつ、それを揶揄しながら距離を置き、軽妙に語る語り口の積み重ね。本当にバランスがすごいです。

歴史を研究する先生たちは、歴史史料を積み上げつつ、「でも実は○○なんじゃねーの?」なんておしゃべりしているのを聞いたことがありますが、そういうのをファンタジー小説でさらっと書いてしまえるあたりがもうなんとも……。

ニンゲンってのは感情の生き物で、理屈や合理性だけでは動けないし、動かない。かといって、きれい事でも打算でも動かなかったりします。始めるエネルギーはあっても、まとめるエネルギーは持ち合わせなかったり。アホらしさの中でまじめだったり、まじめなのに端からみるとバカバカしいだけだったり。

酒見さんの本を読むと、そういうニンゲンの理屈に全然会わない部分が、実は真実味あるというか、ニンゲンらしさだったりするのかなーなんて考えたりします。第一回ファンタジーノベル大賞受賞作の審査員の一人、高橋源一郎さんは私のもやもやして言葉にならない気持ちを、こんな風にまとめてくれていました。

『後宮小説』にあって他作品にないもの、それは淡い哀しみを帯びた「軽さ」である。この小説の「軽さ」は軽薄短小の「軽さ」ではなく、重力から逃れてあることの「軽さ」だ。『後宮小説』の世界では、登場人物、そこで起こる重要なあるいはどうでもいいような事件の数々も、それらを包み込んで流れる歴史も、そしてそのすべてを語る作者の声も、その一切が重力のくびきを逃れて浮遊している。この「軽さ」は内閉的な夢を語ることによってではなく、ついに重力から逃れることのできない我々というやっかいな存在の運命を直視することによってしか得られることのできない宝庫なのだ。われわれはこの稀な宝物のことを「ファンタジー」と呼んできたのだ(高橋源一郎:文庫版解説)


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