雄大な草原とそこに住んでいた人々と狼たちの最後。『神なるオオカミ』姜戎
10年くらい前、毎年夏の中国内モンゴルに出張してました。その時に仲良くなったモンゴル族の女性に教えてもらった本が、この『神なるオオカミ』です。モンゴル人と狼について書いた本で、海外で評価されて6カ国語で翻訳されているから、きっと日本語もあるはずとのこと。
それがこの『神なるオオカミ』です。原題は『狼図騰』(英名:Wolf Totem)。海外ではマン・アジア文学賞を受賞。ハードカバーで上下巻なのに、読み始めたら一気読み不可避な内容でした。
物語の舞台は、1960年代の中国。文化大革命の時に、内モンゴルに下放された漢族の知識人の青年が主人公です。中国の共産党政権は、モンゴルなど遊牧民を、定住する民族より低俗だとみなしますが、主人公の青年はモンゴルの古老と仲良くなり、遊牧民の自然を利用した智慧に感銘を受け、モンゴルの伝統に惹かれていきます。
そのなかでもオオカミに関する伝統に強く惹かれていきます。例えば、モンゴル人にとって狼は、脅威だけれども大切な存在です。なぜなら、草原で牛や羊や馬などの大きな動物、野ウサギや野ネズミなどの小動物、そして人間が死ぬと、それをきれいに食べて、消化してくれるから。
生き物の死体は伝染病のもとなので、狼は草原のすばらしい清掃者なのだそうです。だから、モンゴルの人たちは狼を恐れますが、決して殺しつくすようなことはしません。草原はとても繊細な場所なので、生態系を崩すようなことは、自分たちの首を締めることにもなるのです。
この小説の中で、主人公の陳青年はモンゴルの文化や智慧をすばらしいと思い、モンゴル族の古老を崇拝します。でも、彼は北京育ちの中国青年なので、オオカミに惹かれるあまり、モンゴルの伝統に反すると知りつつ、子供のオオカミを内緒で飼ってしまいます。彼の存在は物語の中で、モンゴルと中国の文化の間をとりもつ、矛盾ある存在です。
モンゴルの人たちは季節ごとに移動し、草原に適応して暮らしてきました。でも、中華人民共和国は遊牧民たちを「下等」だと決めつけ、定住という「文化的な生活」をさせ、たくさんの家畜を育てさせる方針を押し付けました。家畜を狙う狼は殺し尽くすよう命じられます。豊かだった草原はあっという間に荒廃して、砂漠になっていきました。
この本は、作者の自伝的な小説なのですが、中国社会に批判的な内容にもかかわらず、中国で出版されてベストセラーになり、海賊版が出たほどだとか。でも、20年経った今なら、間違いなく出版できないか、途中の内容が削除改編されまくりだったはず。
20年前、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』を撮影して中国政府を怒らせ、中国で公開禁止になったジャン=ジャック・アノー監督。でも今回、彼は『神なるオオカミ』を映画化できました。つまり、中国政府の納得できる内容の映画になっているということで、とてもとても残念です。
原作の出版から長い年月がたって、『神なるオオカミ』のモンゴル文化に対する間違った記述もあることがわかっています。例えば、そもそも狼はモンゴル族のトーテムじゃないよ、とか。でも、出版当時、作者はそういうものだと思って書いた「小説」なのだから、それで1つの作品だし、中国の社会ではモンゴル文化への理解が全然及んでいなかった証拠資料のようなものでもありますよね。