碩学の若かりし修行時代。『書藪巡歴』林望
大昔に読んだことがあるイギリス本の著者とは同姓同名だと思っていました。でも、ご本人だったのですね。
慶応大学で和漢古典を文献学的に研究する若い頃の著者。そして、和漢古典の文献学専門機関「斯道文庫」とその先生方をめぐるエッセイ。でも、エッセイというには書香が心地よいというか、漢文的なので背筋が伸びるというか。読んでいるだけで、素敵な文章で久しぶりに脳みそがジャバジャバ洗われる気分です。
京都まで往復する電車の中で読了しました。
書誌学の世界を垣間見れるし、書誌学の基礎知識も勉強できます。教科書的な入門書よりも、エッセイ的な文章の方が初心者には頭に入るので。以下、読書メモ風に。
この頃の若い者は、本を読まなくなったというが、実は「昔の若い者が読んだ本を読まなくなった」だけのこと。
日本の出版業は、出版自体は8世紀から行われていたが、産業・商業として成立してきたのが江戸初期、秀吉軍が朝鮮李朝から活字印刷の技法とその出版物を略奪してきたことに端を発した。初期の段階は本の姿同様、朝鮮半島の本にどことなく似ていた。
中国人は表紙の厚いのを好まない民族。中国の書物は竹を原料とする紙、竹紙でできていた。竹紙は日本の楮や雁皮を材料とする「和紙」に比べると遥かに軟質で脆い。そういう腰のない紙を本文にもつ書物の表紙だけが厚紙で堅くできていると、馴染みが悪く、中の本誌がぐちゃぐちゃに丸まってしまいがち。薄くしなやかな表紙だと本紙同様やんわりしなうので本は案外傷みにくい。
鎌倉時代に始まる禅宗の出版物、いわゆる「五山版」は一般の人の読書には結びつかない。禅宗は中国的なスタンスを持ち続けていたため、その教義をきわめ、人並みに修行の実を上げるには、中国語と中国文学に通暁している必要があった。
この「五山版」の範疇には『寒山詩』や「詩人玉屑』、『三体詩』のような漢詩文に属するものが現れてきた。同じく中世に出現した『論語』などの儒書と並んで明らかに「読まれる」ための本。それでも主体は知識人。
江戸初頭、不特定多数の読者を意識した初めての書物は切支丹版。『天草本平家物語』(1592年)、『にほんの言葉とヒストリアを習い知らんと欲する人の為に和らげたる平家の物語』など。
かつて嫁入り道具や飾り本だった絵入り本が、江戸時代の『伊勢物語』など挿絵入りで売られ、非常に売れた。江戸時代から「売れる本」を作ることはいつも本屋の悩みのたね。
ケンブリッジ大で和書(漢籍)目録を作るときの苦労話は、いまだとかなり笑えるけれど、大昔を知るものにとっては身につまされる話。マックの日本文字出力の部分、シャープのワープロ書院の日本文字の部分、英語部分はマック、そして日本語部分はNEC98入力で入力し、出力はマック。まとめの総目次は書院出力で印画などなど。
書物出版の歴史(形跡)から推量すると、古今最大のベストセラー&ロングセラーは『伊勢物語』だとか。小ネタから大きな学問の話まで、本当におもしろいです。おすすめ。
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