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中国の宮廷ドラマをもっと楽しむために。『東アジアの後宮』(伴瀬明美・稲田奈津子・榊佳子・保科季子編)

最近、中国の宮廷ドラマが日本でも気軽に見れるようになりましたが、そもそもどのくらいフィクションで、どのくらい実話に基づいているの?という疑問がわきます。

そこで、ちょうどタイムリーに出た論文集を入手しました。全くの専門外なので、読むのにはちょっと努力が必要ですが、それでも普通のお硬い論文よりは、かなりマイルドだし、短いし、コラムもあるしで楽しめました。

タイトルに東アジアとあるとおり、中国だけじゃなくて韓国や日本、ベトナムや沖縄(琉球)も含まれていて、しかも古代から近代に至るまでかなり長期スパンにしてくれているのがうれしいです。ざっくり全体像を見渡せる文章と、各時代ごとの後宮の特徴がわかる文章の2つがあって、痒いところに手が届きます。

とりあえず、私は最近みた『羋月(ミーユエ)』と『瓔珞(インルオ)』について知りたかったのでそこだけ先に読みました。当たり前ですが、『ミーユエ』が舞台になった紀元前の後宮のことなんて、ほとんどわかっていません。

「中国の後宮」保科季子(『東アジアの後宮』)

でも、後宮の女性たちのランクの移り変わりを見ているだけで、なんとなく雰囲気がわかる気がします。以前、私がラノベで読んだ後宮ものは、唐の時代あたりを参考にしていたようです。でも、『ミーユエ』の時代はもっともっと昔。羋月の「八子」以外にも「少使」とか「良人」とか知らないランクが出てきて新鮮でした。「美人」みたいに、その後もずっと残るものや、使われなくなる名称とか予想以上にたくさんあって驚きました。

「中国の後宮」保科季子(『東アジアの後宮』)

唐の時代は皇后がいて、四妃がいて、その下に九嬪がいるパターン。ここから、さらに王朝が代わるたびにランクは変わって、『瓔珞』の清の時代になると、こんなことになっていました。

「中国の後宮」保科季子(『東アジアの後宮』)

で、すごくおもしろかったのが、当たり前ですが専門の先生たちの文章。例えば、ある女性が身分の低い立場から皇后に上りつめたりしたら、日本人はすごくその女性が魅力的で、賢かったと思うじゃないですか。

だって、いくら皇帝に気に入られても、実家の家柄がものをいう平安時代的な感性に慣れている日本人。光源氏の母親の身分が低かったことで、いじめられて早死した悲劇は誰でも知っています。もし、光源氏の母親が中宮とかになれていたら、全然イメージは変わっていたかもしれませんが、日本的後宮は息子を産む以上に家柄超大事。

でも、漢の時代(1世紀前後)は「母は子を以て貴し」。母親の身分はあんまり問われなくて、皇太子(のちの皇帝)を産んだ女性が皇太后。外戚もブイブイ言わせられたとか。

それから、後宮もわりと出入り自由とはいわないまでも、比較的出入りできたり、後宮の外に住む寵愛を受ける女性がいたり。子供殺しもよくあったけど、そもそも皇帝の子供以外の出産も結構あったとか。結構、イメージ崩れます。(とはいえ、楊貴妃だって浮気してたって言われてますから)

わざわざ宦官(男性の大事な部分を切った人たち)を後宮で働かせたのは、単に皇帝以外の子供を産ませないためじゃなく、それ以外の宗教的な理由があったのではというお話、なるほどです。

あと、私の『瓔珞』への興味で読んだ清朝の部分。清をつくった満州族は、それ滅ぼした明の皇帝たちが美女好きだったせいで、ろくでもない外戚が権力をふるったり、皇帝の地位を息子たちが争ったのを反面教師にしました。皇帝が次の世代を選ぶときに、外部にもれないように隠す方法をとったり、お妃選びも家柄や人柄重視だったというのは基礎知識。

でも、皇太子方面だけでなく、後宮の女性たちもかなりコントロールされていて、子供を産まなくても定期的に1ランクづつ出世できたとか、よほどのアクシデントがない限り寵姫でも2ランク出世、3ランク出世なんてできなかったとか。つまり、波乱万丈はないのが清朝の後宮。低ランクの女性が出世するには、息子を産んで長生きすることがものすごく大事な要素だったそうです。

身も蓋もないですが、余計な争いをうまないためには大事なことだったのでしょう。当然、劇的なドラマ展開はうまれません。でも、個人的には、粛々と皇帝に仕えて、出世していく後宮の女性たちの日常を描いたドラマがあったら見てみたいです。



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