日本生まれの台湾人で、北京放送のアナウンサー。『陳真』野田正彰
私が初めて、NHK中国語講座をみたときに、穏やかな笑顔で発音を担当されていた陳真さん。てっきり、生まれも育ちも北京の方だとばかり思っていました。まさか、台湾人のご両親がいて、日本の東京生まれだったなんて、驚きです。
戦前は、台湾が日本の植民地だったので、台湾人も「日本人」だったはず。でも、子供の頃は「中国人!」といじめられ、学校でも先生に殴られたといいます。谷川俊太郎さんや、日本の教養ある人たちとの交流があったようで、子供の頃の谷川さんと陳さんの写真は、独特の優雅な雰囲気を感じます。
戦争が終わっても、「勝ったからっていい気になるな」と周囲の日本人たちに怒鳴られる環境だったので、やむを得ず台湾へ帰国したら、今度は中国大陸からやってきた中国「国民政府」の白色テロ、二二八事件に巻き込まれて、逃げまどう日々。
やっとのことで、中国大陸に逃げたら、念願の学校へ行くどころか、すぐ放送局で働かされ、結核になってしまいます。病気療養にやさしかった医者と結婚すれば、家族団らんの夢もなくなります。そして、文化大革命が始まると、またもや「日本人の手先」と迫害されます。それでも、いつも前向きで、「まあ、いいか」としなやかに生きた陳真さん。
この時代の台湾出身の方々の苦労は、本田さんの本からも知ることができます。日本で形見の狭い思いをして、ふるさとの台湾に戻ったり、あこがれの中国に渡ったのに「日本人のスパイ」にされてしまう人々。その苦労を乗り越えて、政治家や通訳として活躍した人たちのノンフィクションは読み応えありすぎます。
同じく日本生まれで、台湾人の両親を持ち、戦後の新しい中国にあこがれて帰国した女性はその後、周恩来の通訳になった話。陳真さんは東京ですが、こちらは神戸出身の林さん。
戦前の台湾から単身で日本留学して、中国にも渡ったけれど共産党になじめず帰国。日本や海外で革命活動をした史明の話はこちら。
ほかにも、いろいろおもしろい記述がありました。例えば、中国の内戦の時代から、イギリスが中国共産党と、連絡があったという話。アメリカとは敵対していましたが、イギリスは香港を認めさせるために、中国寄りの行動をとったんでしょうね。
それから、建国後の北京をどうするか、近代的な都市にするか、伝統を生かした都市にするかの論争があったことなんかもおもしろいです。新しい国、新しい首都をどうするか、建国直前の熱気と、その後の粛清と。振り子のように揺れ動く中国。
嵐のような時代を生き抜いた陳真さんなので、決して全てを語っていないとは思いますが、そういうものを想像しながら読んでも十分おもしろいはず。