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「骨」をめぐる民俗宗教。『骨のフォークロア』藤井正雄


骨について調べてみたいときに読んだ本。専門知識がないと、ちょっと読みにくい部分もあるけれど、私みたいな門外漢でも読めて、興味深かったです。

例えば、当たり前だと思っていた「○○家之墓」というお墓の形式は、明治から大正にかけて浸透していったものという話。江戸まで、日本では個人の墓が基本でした。しかし、明治以降の「新墓地開発禁止」と「伝染病予防法」の施行と、それに伴う火葬の普及でだんだん広まり、昭和になって一般化したとのことです。

もちろん、背景には日本人の「」に対する思想があってのことですが、その「」ですら、ほんの一握りの身分の高い人たち以外、明治以降に広まった考え方だとか。今の私たちが「伝統」とか「昔から」と思うことは、大体、明治以降に作られたもので、実際に定着したのは昭和が多いことに驚きます。

個人の墓から家の墓への変化によって、仏教的なレリーフは家紋にかわり、墓は仏教的な意味づけを失ってしまったそうです。そして、日清戦争、日露戦争、日中戦争から第2次世界大戦での戦没者の墓標や忠魂碑が、英霊の慰霊や武勲顕彰を推奨したことで、またもう一度、家の墓から個人の墓へと変化していきます。

この本が書かれたのは1988年(昭和53年!)ですが、そのときは家の墓ではなく、故人を追憶する情緒的な側面が強調されるような祈念碑としての墓所が増えてきていたとか。こういう話は、つくづくおもしろいなあと思います。平成を過ぎて、令和の今では、お墓どころか、お葬式もシンプルへ一直線ですし。

なにより、「遺骨を祀る」というのは、日本なことだそうです。そういえば、インドネシアの文化では戦争中の日本兵の遺骨を集め、日本に持ち帰るというのは理解できないことだそうです。「没した土地で祀れば、安らかに眠るものを、またわざわざ掘り起こすとは何事か!」という考えで、遺骨収集にも苦労したとか。これは、薬師寺の長老のご本に書いてあったかな?

確かに、横浜の外国人墓地って、亡くなった土地で葬る思想ですよね。もしかすると、火葬の習慣がなくて、遺体や遺骨を本国に持ち帰れない時代の、止むに止まれぬ埋葬方法だったのかもしれませんが。


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