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『マジメ』と言われないように気をつける
『真面目』と言うと、模範的できちんとした人をイメージする人が多いだろう。
しかし、辞書によると本来は下記のような意味である。
【真面目】
1. 嘘や冗談ではなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「—な顔」「—に話をする」
2. 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。
つまり、『真面目=自分らしくあること』が本来の意味なのであって、世間一般に使われている『マジメ=模範的・きちんと・かっちり・堅実』とはニュアンスが違うのだ。
世の中には『マジメ』を誉め言葉と解釈する人も多いが、本当にそうだろうか?
僕には"模範的な型"に無理矢理ハマろうとするイメージがあって、誉め言葉との認識は無い。むしろネガティブワードだ。
柔軟な人なら上手く型にハマることが出来るだろうけど、そうでなければ型に合うように無理矢理削られ、曲げられ、傷つけられる。
それでは本来の意味とは真逆で全く自分らしくないと思うのだが、それでも『マジメ』と言われたいだろうか?
『マジメ』な人というのは、常に(彼らなりの)物差しで物事を測っている。
型からはみ出たり、欠けたりしたものは除けれ、そうした部分を“直す”ように努力を求める。(自分自身にも)
まるで、工業製品が規格をクリアしているか確かめるための検品のようだ。
でも、人間は工業製品じゃない。
個性や特性まで“直す”必要はないだろう?
“直す”と言えば聞こえが良いが、要は否定だ。
自分や他人を傷つけてまで『マジメ』である必要があるのだろうか?
今でこそ『ブラック〇〇』と言われるようになったが、誰かが作ったよくわからない規則にマジメに従うのが良しとされた時代の名残が未だにある。
利き腕や髪色を統一する必要がどこにあるのだ?
どうして生まれ持ったものを変えてまで型にハマる必要があるのか?
教えて欲しい。
結局、管理する立場の人間の都合じゃないか?
意味不明なクレーム対応をしなくて済むから
画一的な指導で楽だから
多数派に従っておけば責任を負わないから
一体全体、人に対する尊重や愛情はどこにいったんだ?
だから僕は『マジメ』になるのを辞めたい。
もちろん他人にも求めない。
自分も他人も、持って生まれたモノを尊重したい。
別に危害がなければ、型からはみ出ても良いじゃないか。
他人と違っていて当たり前なんだから、はみ出たり足りなかったりして当然なのだ。
だからもし、誰かから「マジメですね」なんて言われたら、自分や他人を型にハメようとして傷つけていないか注意しようと思う。
この記事に書いたことは共感されなくても構わないけど、そういう考えの人間もいるということは知っておいて欲しいと思う。
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