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月を示す指。月をみるか指をみるか。
夜半の静寂を切り裂くように、私は机に向かいこのテーマを再考していた。「指月の譬え」――古代仏教の中でも、これほど端的で心に刺さる比喩があろうか。だが、同時にこれほど解釈の余地があるものも少ないだろう。なんというか、まるで月明かりを見ようとして瞼を閉じるような矛盾に満ちている。
例えば、指導者と生徒の関係において、この譬えを適用するとしよう。指導者が真理を伝えようとするが、それは抽象的で手渡しできるものではない。彼らは言うのだ、「これは真理そのものではない。ただのガイドに過ぎない」と。しかし、そこには二重の超越がある。生徒にとって、その言葉を信じることも難しく、さらに言葉を超えて真理を見ることなど、もはや途方もない作業だ。
「私が指している月を見よ」と指導者が言うとき、生徒はまず指そのものを凝視してしまう。それも当然だ。私たちは物理的な指に頼り、視覚的な情報を信じて生きている。だが、指導者が次に言うのは「指を見るな、月を見よ」だ。その矛盾たるや。生徒がこう言ったとしても不思議ではない。「ならば、最初から指など示さなければよいではないか」と。
しかし、その矛盾がこそが深い洞察をもたらすのだろうか。あるいは単なる混乱か。結局のところ、この比喩は生徒に指導者の言葉を否定させることで、自分自身で真理を見出させるための意図かもしれない。だがそのプロセス自体がまた一つの指ではないかという皮肉が、私の中でぐるぐる回り続ける。
さらに深掘りすれば、「指が月を指す」という表現が本当に成立しているのか、という疑問が湧く。指示、あるいは名前というものが、その対象を本当に示し得るのか?名前はむしろ、対象を「志向する」だけであり、そこに到達させるものではないのではないか。言語哲学の分野に足を踏み入れるこの問いは、終わりなき迷宮の入口を示しているようだ。
とはいえ、私がここにこうして考えを巡らせている間にも、夜空の月は静かにそこにある。誰が何を指そうと、月自身は変わらない。ただ人間の心だけが、指の影に惑わされ、真理を見失うのだろう。
「真理を知りたいのなら、まず目を開き、月を見よ」とでも、自分に言い聞かせるべきなのかもしれない。だが果たして、私は本当に月を見ているのだろうか?それともまた指を追っているだけなのだろうか。
夜はますます深まり、静寂の中で私の思考は再び「指月の譬え」に立ち返った。このテーマを追究することは、まるで水中で光を掴もうとするようなものだ。だが、諦めるわけにはいかない。月を指すその指が、私の手に触れている感覚がするのだから。
指導者と生徒の話に戻るが、これは単なる教えの伝達を超えた問題を孕んでいる。「指を否定せよ」と言う指導者は、確かに矛盾しているように思える。だが、考え方を変えれば、それは一種の教育的な仕掛けではないだろうか。真理に触れるために、まずはその道具を利用し、次にその道具を捨てるよう求める。その捨てる行為こそが、真理への扉を開く鍵となる。なんという皮肉なことか。
私自身、これを実生活にどう当てはめるかを考えた。私の人生にも、多くの「指」があった。古い書物や尊敬する先人の言葉、あるいは日々の雑事の中で交わされた何気ない会話。それらの中に真理を求めて、ひたすらそれに頼った時期がある。だが、それらをそのまま真理だと思い込んでいた私は、実際にはただ「指」を見つめていただけだったのかもしれない。
それに気づいた瞬間、人は深い孤独に直面する。真理を指す「指」から手を離したとき、いったい自分はどこに向かえばいいのか?その答えが見つからないまま、私は途方に暮れた。だが同時に、その孤独こそが本物の出発点であると、どこかで直感していたのだ。
「月は見えますか?」と自分に問いかけたこともあった。だが、答えはいつも曖昧だった。「見えているような、見えていないような……」そんな半端な答えに自分自身で苛立つこともあった。もしかすると、月を見ようとすることそのものが、すでに過ちなのかもしれない。月は見るものではなく、感じるものだ――そんな考えすら浮かぶ。
言葉に頼らない真理のあり方とは、どのようなものなのだろうか。「指」が不要となる瞬間、そこに広がる世界とはどんな景色なのだろう。私はまだ、その答えを知らない。ただ、ひとつ確かなことは、指の向こう側に広がる無限の可能性が、私の目の前にあるということだ。
結局、私たちは生きている限り、何かを指さずにはいられないのだろう。そしてその指が指す方向を見つめ続ける。その果てに何があるのか、それを知るために、私は今日も月を探す旅を続けるのだ。
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