いずれは論文を執筆したいけれど……
もし他人がこのようなタイトルの記事を書いていたとしたら、私は「今すぐ取りかかればいいじゃないか……」と思ってしまうだろう。もちろん、私は英語の人文系の雑誌に自分が書いた論文を投稿して、それを掲載してもらってそれなりに値打ちを認めてもらって引用してもらいたいと思っているし、そのために必要な準備について「こういう仕方ならあがけるのではないか」と考えている。なお、英語の雑誌とは例えば Oxford の Mind とか Analysis といった雑誌のことを指す。
例えば、このような記事でもあまり論理立てて書かれていない文章だとしても、とにかく毎日文章を書いてみることもそのひとつだ。なぜならば、まず内容に関わらず執筆の習慣を身につけること、それから執筆内容を筋道立てた、秩序立てたものとして自分の中でアップデートしていくということも何かアイデアをつかんだ後に用意しようとしても時間がかかり過ぎる能力のひとつである。すなわち、単純な筆力も語学と同じように普段からそこそこ身に着けておかないと他の条件が揃ってから用意するのでは遅いからだ。
単純な筆力の他に何が必要なのだろうか? それが「ここからここまであれば掲載可能性がある」とハッキリ洗い出されていれば、私も少しは先に進めるだろう。私に欠けているアイテムは何だろうか? 例えば:
語学力(最低限、英語とドイツ語)
ひとつの文献から参照文献をすべて読みきった経験(日本語でもない)
同人誌への掲載経験
論文誌への投稿経験(日本語でもない)
論文誌への掲載経験(日本語でもない)
引用された経験(日本語でもない)
学会での発表経験(日本語でもない)
教官や同じ分野の研究者に書いた下書きを読んでもらった経験(卒業論文ではわずかにあったがほとんど無い)
論点を適切に絞る能力。適切とは自分の動機づけが十分に保てて、なおかつ自分に独自の解決や提案ができそうな部分に論点を絞れる能力。
共著執筆
単著執筆
単独で半年以上のレク(講義)を開催する
日本語でも無い経験についてまずは日本語の論文誌に投稿してみるのもいいかもしれない。ただ、日本語の論文誌に投稿するにせよ英語圏のそれに投稿するにせよ、結局材料となる文献は外国語なので語学力をもっと引き上げないとお話にならないというのはある。なぜならば、語学はすべての基礎だからだ(中学生並みの発言)。語学を学ぶことによって基礎的な国語力や哲学的な意味での理解能力をも引き上げる必要もあるだろう。
ちなみにやったことがあることは以下のことぐらいだ:
哲学サークル運営20年・250回以上の例会
上記サークルで深草自身による60回以上の発表
上記サークル以外も含めると遥かに多くなる
英語の本を要約して発表数回
卒業論文の執筆
今後、10年、20年、40年でどこまでできるだろうか? それともこのまま手当たり次第の知識に目移りしたまま人生が終わってしまうだろうか? 焦ってもどうやら仕方がないらしいような気はしてきたが一抹(いちまつ)の不安は残っている。
(1,245字、2024.05.13)
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