見出し画像

発達障害の一当事者として

自閉症スペクトラム(ASD)を抱えながら生きる。まるで見えない網の目を手探りし、蜘蛛の巣のように絡まり合う社会の規則と期待を解きほぐしつつ進むようなものだ、と私は思う。それは時に、迷路の中に放り込まれた鼠のように感じることもある。だが、少なくとも私は、鼠であることに何かしらの矜持を見出せる気がしている。

21世紀の幕開けとともに私は就労を始めた。IT技術者としての目も回る日々、工場オペレータとしての単調な繰り返し、そして事務員としての曖昧な関係のなかでの愛想笑い。何度も転職し、時には無職の谷底に落ちた。だが、そのたびに這い上がり、息を継ぎ、何とか次の一歩を踏み出してきた。振り返ってみれば、それは私の障害を生きる術だったのだ。

職場という名の「組織」に足を踏み入れるたびに、私は自分の「味方」を探し求める。組織は義侠心や正義感で成り立っているわけではない。むしろ、利益と気分の良さ、それが全てを支配しているように感じる。だからこそ、私は媚びを売る。媚びを売ることは私にとって生き延びるための一つの武器だった。

例えば「お前が味方でなければ容赦なく潰されるぞ」と警告されるかのように、私は日常の挨拶や小さな気配りを怠らない。それは時に滑稽で、時に虚しい行為だったが、それでも私は「孤立」の恐怖から逃れるために続けた。組織における孤立は死に等しい。助けの手が差し伸べられることなど、まず期待できないのだから。

そして、「普通」について考える。「普通」とは何か? 私にとって、それは一つの固定された概念ではなく、まるで市場相場のように変動するものだ。他人と同調し、場の空気を読む――そのスキルが欠けている私にとって、「普通」を掴むのは並大抵のことではなかった。それでも、私はそれを何とか理解しようと試みた。

時に、複数の福祉や医療制度を渡り歩きながら、私は感じた。社会とは、障害者に対してまるで「自分で自分を救え」とでも言わんばかりの仕組みを作り上げているのではないか? 私自身が全体像を把握し、ハーモニーを奏でる責任を押し付けられる。それはあまりに過酷で、不公平であるように思える。

それでも、私は生きる。価値の有無は私自身が決めるものではない。生きることそのものが、強制された自由の刑罰であるのだと悟りながらも、私は自分なりの「幸せ」を模索していく。それは蛇行しながらでも、間違いながらでも、前に進むしかない道だ。


「普通」という言葉は、私にとって昔からどこか厄介で、けれども無視することのできない存在だった。それは、周りの人々が当たり前のように口にするけれど、いざその意味を問うてみると、曖昧で掴みどころのない霧のようなものだ。

たとえば、小学校の頃、教室で「普通にやればいい」と教師に言われたことがあった。その瞬間、私は心の中で問いを発した。「普通にって、どういうことなんだ?」と。しかし、そんな質問を口にすれば、「それくらい察しろよ」という目で見られるのが関の山だ。だから私は、口をつぐみ、ただ「普通」の輪郭を必死に探るしかなかった。

振り返れば、「普通」というものは、必ずしも一つの固定された概念ではない。むしろそれは、流動的で、社会の中で状況に応じて形を変え続ける「相場」のようなものだ。隣の人の動きを観察し、その場の雰囲気を読み取り、適切な振る舞いを模索する。それが「普通」を生きる術なのだろう。しかし、残念ながら私は、その「相場」を読むセンサーが他の人よりも鈍いのだ。

日本文化にまつわるジョークがある。「日本人を沈みかけた船から飛び込ませるには、ただこう言えばいい――『他の人も飛び込んでいますよ』」と。なるほど、これほど見事に日本人の「普通」への同調性を表した言葉もないだろう。だが、その「普通」への同調が、私のような人間にとっては時に恐怖となる。周囲の相場を正確に読むことができない私は、しばしば場違いな存在として浮き彫りにされるのだ。

「普通」という無数の「相場」を前にして、私は途方に暮れることが多かった。たとえば、職場での雑談だ。昼休み、同僚たちがテレビ番組の話題で盛り上がっている中、私はその会話に加わることができない。「あのドラマ、見た?」と言われても、私は何のドラマの話をしているのかも知らない。彼らが求める「普通」の反応を提供できず、結局、私は黙り込むしかなかった。

だが、ひとつ気づいたことがある。「普通」は他人が決めるものではなく、自分で作り上げることもできるのではないかということだ。私自身の「普通」を他者に提示する。それが通じる相手もいれば、通じない相手もいるだろう。しかし、全員に合わせる必要はないのだ。無理に他人の「相場」に同調しようとすると、かえって自分を見失ってしまう。

とはいえ、それでもなお、私はこの社会の中で「普通」を模索し続けている。時には間違い、時には失敗する。それでも、その過程で得た知識や経験は、私にとってかけがえのない財産だ。「普通」を完全に理解することは決してないかもしれない。


孤立。それは私にとって最も恐ろしく、そして時に最も心地よい感情だ。いや、感情と呼ぶにはあまりにも現実的で、生々しい状態だと言うべきかもしれない。孤立とは、外部からの断絶だけではない。それは自己の内側で、自分が自分を見失う瞬間でもある。

社会の中での孤立は、まるで深海に放り込まれたような感覚だ。周囲の人々の会話が遠くに響く水音のようにしか聞こえず、身振り手振りも何か歪んだガラス越しに見ているかのようだ。その中で、自分だけが息苦しさを感じている。酸素の欠乏――それは物理的なものではなく、社会的なものだ。

職場で孤立を感じたとき、私はまず周囲を観察することから始めた。皆がどのように振る舞い、どのような話題で笑い合うのか。それを見極めることが、自分が「場違い」であることを確認する行為になっていると気づきながらも、やめることができなかった。孤立は自分が孤立していることを確認することによってさらに深まる。その悪循環を断つ方法を見つけることは、簡単ではない。

しかし、一方で、孤立が必ずしも悪いものではないとも思う。誰かとつながることに疲れ果てたとき、孤立は一種の避難所になる。人と交わる中で、私たちはしばしば「他者」の顔をかぶらざるを得ない。社会的なルールや期待に応えるために、自分自身を削り取っていくような感覚だ。孤立の中では、その「他者の顔」を外すことができる。自分の内側に戻り、自分が何者であるかを再確認する時間となるのだ。

孤立には二つの側面がある。自分を蝕むものと、自分を癒すもの。この二つは絶えず交互に現れる。孤立に耐えられないと感じるとき、私は必死に外部との接触を求める。だが、接触を得ても、結局はその関係に消耗し、再び孤立の中に戻る。それは波のようなものだ。

では、孤立をどのように受け入れ、共存すればよいのか。私が学んだのは、孤立そのものを否定せず、それを「一時的な状態」として扱うことだ。孤立は永続するものではない。自分が孤立しているという意識がある限り、それは終わりの見えない闇ではなく、一つの局面に過ぎないのだ。

職場で孤立を感じたとき、私は思い切って「挨拶」を試みた。ほんの小さな一言だが、それが孤立の亀裂に微かな光を差し込ませることがある。それは時に、相手の笑顔や短い返答という形で帰ってくる。そして、それが次のつながりへの足がかりとなる。

孤立は私たちの心に巣食う影でありながら、その影の中には自分を見つめ直すための静寂が隠されている。孤立は恐れるべきものではなく、それに正面から向き合い、自分自身の「独り」であることを受け入れることで、初めて光の差し込む場所へとたどり着けるのだ。

#スキしてみて #毎日note #毎日投稿 #note #エッセイ #コラム #人生 #生き方 #日常 #言葉 #毎日更新

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集