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マインドマップ演習2:『〈権利〉の選択』

『〈権利〉の選択』を少しずつマインドマップを使ってlearningしていく。


第一章を読んだ後。rightという外国語に対して、権利という直訳でも意訳でもない大きく解釈が入った漢語を割り当てられた経緯が語られた。

「right」という外国語の意味の分析と、それに対する日本語がなぜどのようにして「権利」になったのかについて、第一章では福沢諭吉、津田、西など権利がまずは外在的にしか(力に対抗する力として)理解できなかった時代背景=徳川時代=封建制度に由来しているのだと分析しているが、詳細についてはマップに反映させるのを控えた。

書き直し。権利という理念が成立前の時間軸と成立後の時間軸を区別し、第一章で暗示された権利概念樹立後の世界の内側=「権利の支配」=「法の支配」の世界を明示的に段階的に描いた

外在的な時間軸(利益を保護する力の衝突という現象の時間軸)が権利を理念として、つまり当然のものとして、侵すことが不正であるような「正しさ」の樹立を蝶番(ちょうつがい)として、その正しさの内側の時間軸が内在的な時間軸(権利=正しさ=法の支配の時間軸)が一定の強度を持って成立したこと、それが私には重要かつ理解しやすいと捉えて強調した。

第一章とまえがきとの記述の間で、最終的に現に我々日本人が意識しているケンリなるものが果たして「正しさ」というrightの字義通りに拠っているのか、それとも「利益を保護する力」に近いのかがやや不明瞭に感じた。なぜならば、もちろん日本語の辞典を引けば「法的な力」であるとしてrightから離れた説明がしてあるのだが、その「法」が果たして自然法(天与の正しさであり無時間的)なのか、それとも実定法(人工的な正しさ、取り決め)なのか曖昧だからである。

また、予告されている「力への意志」への遡行についても、第一章で論じられることは無い。ただし、「力への意志」への遡行が自然的かつ外在的な歴史への遡行がむしろ人工的な構成ではないかという疑問が残る。そこでどちらの方が人工的な構成であり、どちらの方がリアリズムであり自然的なものなのかという綱引きがあり得るのだが、仮に自然性を何らかの経路で獲得したところでそれがかくあるべき内部構造を樹立できるのかどうか、また、それが正当性を持つのかどうかとも関係がなさそうではある。ただ、富永仲基の加上説にみられるように、より古い方がより自然でありよりエラいという心理的な人間本性があるのだろう。

(1,022字、2024.07.22)

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参考動画

学習のためのマインドマップの3段階


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