感謝の習慣化(オープン社内報)
先週の火曜日に、
長野県の塩尻にある「奈良井宿」へ行ってまいりました。
蔵の利活用・リノベ施設である
「BYAKU NARAI」を視察いたしました。
それは素晴らしい宿とサービスでした。
過去一かもしれないです。
それはまた別途シェアするとしまして。
その視察ツアーの中で、
神社やお寺を参拝したシーンがありました。
「感謝の習慣化」の大切さを改めて感じたので、
みんなにもシェアしたいと思います。
朝の神社参拝は、「鎮神社」という神社は、
私が好きな香取神社の経津主神(フツヌシ)
をまねき祭祀をはじめたとのこと。
会社の神棚にも入っている神様で、
毎日の感謝ルーチーンをすることができました。
その後は、専念寺という浄土真宗のお寺に行き
読経体験をしました。
私の家も浄土真宗(真宗大谷派)であり、
まったく同じお経だったのでまたご縁を感じました。
浄土真宗は「南無阿弥陀」を唱えます。
その解釈は沢山ありますが、
それはWIKIで調べてみてください。
真宗大谷派では、
南無阿弥陀仏をベースとしてお経を唱えます。
ものすごく要約すると、
過去、未来、現在の重たい障りは、
全て必ず転換されて軽く受け取れる。
と解釈している。
ネガティブをポジティブへ転換する。
パラダイムシフトのパワーワードなのです。
真実を求める「求道心」は悪い神々が恐れるもの、
だから南無阿弥陀仏を唱えて、
過去・未来・現在の仏たちを師や友とし、
その求道心を守ってもらう。
そんな感じでしょうか。
仏壇が家にある家庭では普通ですが、
毎朝起きたら仏壇に手を合わせ、
「南無阿弥陀仏」を唱える。
毎日、ネガティブからポジティブへ向かうために、
ご先祖様に感謝を伝え、
仏様を仲間にして、
求道心をブラッシュアップする。
こんな習慣があったんだなあ。
なんて思いました。
元来日本は、
仏壇や神棚に感謝を伝えて一日がスタートします。
最近はその文化もなくなり、
感謝の念が薄れてきている気がします。
それは私も含めてでしたが。
世の中を感謝の気持ちでいっぱいにすれば、
きっと良い世の中になるだろうな。
なんて思います。
昔の人たちも同様に、
その習慣を忘れがちだったと言います。
仏像は本来形なきもの、
むしろ形にする事を禁じられていたらしいです。
説教でその事を知りました。
毎日手を合わせて感謝する文化を守ろうとし、
昔の人たちが考えた習慣の工夫として、
仏像や絵画が作られたようです。
感謝を忘れない。
とても大事な事です。
同様に「いただきます」と手を合わせるのも、
自分以外から命を分けていただく事に
感謝を伝える意味があります。
自分一人では食べることもできない。
人もそうですし、自然の全ての恵みがあるから、
私は生きていられる。
そんな感謝を忘れないために、
「いただきます」と唱えます。
毎日に感謝する。という習慣。
神社仏閣がある意味はそういうことなんです。
霊的なものでは決してなく、
シンプルに「感謝の習慣化」の手段なのです。
だから私は毎日神棚に手を合わせ感謝を伝えます。
盆暮れ正月両彼岸にはお墓を訪れ南無阿弥陀仏と唱えます。
今日も感謝。
生きていることに感謝。
ありがとうございます。
今週も1週間頑張りましょう!